伊勢が詠んだ熊野関連の歌
伊勢(いせ)。875年頃生、938年以降没。
伊勢守であった藤原継蔭の娘。父の任国から伊勢の通称で呼ばれました。
宇多天皇の女御・藤原温子に仕え、のちに宇多天皇の寵愛を得て、皇子を産みますが、皇子は夭折。宇多天皇の出家後、皇子の敦慶(あつよし)親王と結ばれ、娘・中務(なかつかさ)を産んでいます。
晴歌の名手として屏風歌を多数作り、歌合でも活躍。当代一流の歌人で『古今集』には女性歌人として最多の22首が入集。伊勢没後に編纂された『後撰集』でも『拾遺集』でも女性歌人としては最多の入集を果たしています。家集に『伊勢集』があります。三十六歌仙のひとり。娘の中務も三十六歌仙。
『伊勢集』より2首
1.新古今集にも採られた恋の歌。別の歌集より『伊勢集』に混入したもの。「古今六帖三・うら」から。
みくま野の浦より遠(をち)にこぐ舟の我をばよそに隔てつるかな
(訳)熊野の浦から遠くに漕ぐゆく舟のように、あなたは私を遠くに隔てたのですね。
(380)
2.これも恋の歌。別の歌集より『伊勢集』に混入したもの。「古今六帖三・水」から。
音無の山の下ゆくさゝら波 あなかま 我もおもふ心あり
(訳)音無の山の木々の下をゆく音無川の小さな波。しっ、静かに。私もあの人を思う心はありますが、噂を立てられたら困るのです。
「あなかま」は静かにと制する語。
音無の山とは音無川が流れる周囲の山々のことでしょう。
(409)
(てつ)
2003.4.27 UP
2020.8.12 更新
参考文献
- 新日本古典文学大系28『平安私家集』 岩波書店
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