藤原俊成により竹谷荘が熊野山へ寄進されてからの創建か
蒲郡市竹谷町王子9-1?
ここは、県内各地の熊野神社を調査していた際、「神奈備にようこそ」で発見し、関心を持っていました。
そして私が中世鎌倉街道を探索している中、不思議に熊野神社を見受けていることが、この参拝記に報告している
背景ですが、三河部に来て海を渡って熊野信仰が伝えられてことを知りました。
この意味から、三河湾に面した当社を参拝して、中世の海道を連想しました。
拝殿・本殿です。菊の紋章が見えます(が、理由は不明です)。
拝殿の「若一王子社」の扁額です。
境内からは三河湾が望めます。先の鳥居の緑が島です。
御祭神
伊邪那美尊 事解男命 速玉男命
御由緒
創建は明らかでない。王子の宮、若一王子権現宮という。
国内神名帳に従五位竹谷天神とあり、竹谷庄が熊野領となり創祀されたものと思う。
神主稲熊氏は熊野族の出身と「稲熊氏代々霊魂記」にある。
竹谷城主の松平家代々守護神として社殿再建、鐘の奉納などあり。
(愛知県神社名鑑)
(河合さん)
No.1044
(てつによる追記)
竹谷荘・蒲形荘の開発領主であった藤原俊成は平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
『千載和歌集』の撰者として知られます。子に藤原定家、孫に藤原為家がいます。
藤原俊成は竹谷荘・蒲形荘を熊野山へ寄進。
2009.8.21 UP
2021.6.4 更新
参考文献
- 『愛知県神社名鑑』