『千載和歌集』は第7番目の勅撰和歌集です。
寿永2年(1183)2月に下された後白河上皇の院宣により藤原俊成(としなり or しゅんぜい。1114〜1204)が撰集しました。院宣が下されたときはまだ平氏政権下でしたが、同年7月に平氏は都落ち。源平合戦のさなかに撰集が進められました。
文治元年(1185)に平氏滅亡。その後、義経と頼朝の対立が激化。頼朝に追われた義経は文治3年(1187)2月、北の王・藤原秀衡を頼り、奥州平泉に逃亡。
『千載和歌集』の奏覧がなったのが、文治3年(1187)9月20日(序によると)のこと。義経をめぐって頼朝と秀衡が静かに対峙していたころです。
そのおよそ1ヶ月後の10月29日、義経を保護した秀衡は66歳で死去し、そして、そのおよそ1年半後の文治5年(1189)閏4月、義経は31歳で自刃し、その後、半年も経たぬ9月に奥州藤原氏は滅亡しました。
『千載和歌集』二十巻1288首のうち、歌の本文に「熊野」の語が登場するものは、長歌が1首のみですが、詞書まで広げると4首。あわせて5首、「熊野」が登場する歌があります。
1.『金葉集』の撰者、源俊頼(としより。1055〜1129)の長歌。あまりに長い歌なので「熊野」近辺のみをご紹介します。本文に「熊野」が登場する唯一の歌です。
・・・・・あるにもあらぬ 世の中に また何事を み熊野の 浦の浜木綿(はまゆふ) 重ねつゝ 憂きに絶え(へ)たる ためしには・・・・・
(巻第十八 雑歌下 雑体 短歌 1160)
「み熊野の浦の浜木綿」は「重ね」を起こすための序詞として使われています。また、「み熊野の」の「み」は「見る」を掛けています。
浜木綿は、ハマオモトのこと。海辺に生えるヒガンバナ科の多年草。花が、木綿(ゆう。コウゾの皮の繊維で作った白い布)でできているかのように見えることから浜木綿(はまゆう)というそうです。幾重にも葉が重なっているので、「幾重なる」「百重なる」などを起こす序詞となりました。
2.法華経読経にすぐれながらも、好色ぶりで知られ、和泉式部との関係も伝わる、中古三十六歌仙のひとり、道命阿闍梨(どうみょうあじゃり。974〜1020)の歌。
修行に出(い)でて熊野にまうでける時、人につかはしける /道命法師
もろともに行く人もなき別れ路(ぢ)に涙ばかりぞとまらざりける
(巻第七 離別歌 487)
一緒に行く人もない別れ路に、涙だけは留まらずについてくることだ。
3.蹴鞠の達人、藤原成通(なりみち)の歌。
前大僧正覚忠御嶽(みたけ)より大峰にまかり入(い)りて、神仙といふ所にて金泥法華経書きたてまつりて埋(うづ)み侍(はべる)とて、五十日許(ばかり)とゞまりて侍(はべり)けるに、房覚が熊野の方よりまかり入りけるに付けていひを(お)くりて侍ける /前大納言成道
お(を)しからぬ命ぞさらに惜しまるゝ君が都にかへりくるまで
(巻第十七 雑歌中 1132)
惜しくない命があらためて惜しまれる。あなたが都に帰ってくるまでは。
神仙(現・深仙)に埋経するために御嶽(金峯山)より大峰入りした覚忠へ、熊野から大峰入りする房覚にことづけて送った歌。
金泥法華経は金泥(金粉を膠の液で溶いたもの)で経文を書いた法華経の経巻。経典を地中に埋めるのは、仏法が滅んだ後にも経典を保存するため。
教典や仏像を地中に埋めた仏教遺跡のことを経塚といいますが、神仏習合の霊地であった熊野三山でも多くの経塚が営まれました。
4.後三条内大臣、藤原公教(きんのり。1103〜1160)の歌。
白河法皇熊野へまい(ゐ)らせ給ふける御供にて、塩屋の王子のを(お)前にて人々歌よみ給けるによみ侍り(はべり)ける /後三条内大臣
思ふ事汲みて叶ふる神なれば塩屋に跡を垂るゝなりけり
(巻第二十 神祇歌 1258)
塩屋王子(熊野九十九王子のひとつ。和歌山県御坊市塩屋町)で詠んだ歌。
思っていることを汲んで叶えてくれる神であるから、塩屋に垂迹するのであったよ。
「垂る」は「垂迹(すいじゃく)する」の意。仏が仮に神として姿を表わすこと。
「垂る「汲む」は「塩」の縁語。
熊野の神様のことを熊野権現(ごんげん)といいますが、権現とは「仮に現われる」ということです。仏が仮に神となって現われた、その仮に現われた神のことを権現といいます。
仏が本体で、神は仮の姿。本体としての仏のことを本地(ほんじ)といい、仮に神となって現われることを垂迹(すいじゃく)といいます。このような考え方を本地垂迹思想といい、本地垂迹という思想的バックボーンを得たことにより熊野三山は一体化し、世に熊野ブームを巻き起こしました。
この歌の次に、熊野は登場しませんが、本地垂迹(ほんじすいじゃく)のことを詠んだ歌が置かれていますのでご紹介します。
百首歌めしける時、神祇歌とてよませ給うける/崇徳院御製
道の辺(べ)の塵に光をやはらげて神も仏の名告(なの)るなりけり
(巻第二十 神祇歌 1259)
道のほとりの塵に混じってその光を和らげて仏が神として現われている。神も仏が名のったものなのだなあ。
5.藤原経房(つねふさ。1143〜1200)の歌。
熊野にまうで侍ける時、発心門の王子にてよみ侍ける /権中納言経房
うれしくも神の誓ひをしるべにて心をおこす(かど)門に入(い)りぬる
(巻第二十 神祇歌 1268)
発心門王子(熊野九十九王子のひとつ。和歌山県東牟婁郡本宮町)にて詠んだ歌。
嬉しいことに、神仏の衆生救済の誓願を道しるべにして、発心の門に入ったことだ。
「心をおこす」とは出家の意志を生じさせるの意。
発心門王子(ほっしんもんおうじ)は、熊野九十九王子のうち、格別の崇敬を受けた五体王子のひとつです。ここからが本宮の聖域の入ると考えられました。
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『千載集』から見つけられた熊野関連の歌は以上の5首。もしかしたら見落としがあるのかもしれませんので、もし他にありましたら、メールや掲示板にてお知らせください。
(てつ)
2003.4.6 UP
◆ 参考文献
新日本古典文学大系10『千載和歌集』岩波書店
新日本古典文学大系25『枕草子』岩波書店
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