江戸時代初期の勧請と伝わる熊野神社
ここの熊野神社は、塔野地の二社(東屋敷・南ノ切)から更に一駅東(奥)の善師野地区にあり、周囲は自然豊かな場所です。
カーナビを頼りに付近まで来ると、平野の中に緑豊かな小山があり、目的地でした。
神社正面の横に教育委員会が設置した説明版があり、ここは1700万年前頃までは湖底であったが、
その間に堆積した地層が長い年月かけて岩石となり隆起して陸地になったという。
特色ある地形のためか、神社の傍に東海自然歩道<飛騨木曽川国定公営>の中間入口の案内版がありました。
熊野神社の社標です。約100段の階段の先に本殿があります。
最初に見えるのが拝殿ではなく本殿です。
本殿です。本柱の上にあるのは、木製の狛犬のようです。周囲4か所にありました。
本殿から見た山頂からの景色です。狭いため、拝殿が参道から外れて低い位置にあります。
御由緒
境内に掲示してある由緒によると、慶長10年(1605)、紀州熊野本宮から、ご祭神である須佐之男命(すさのおのみこと) 、家都美御子大神(けつみこのおおかみ)、熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の三神の分霊を勧請する。
(河合さん)
No.956
2009.5.22 UP
2021.7.7 更新