徐福伝説の地
愛知県豊橋市の西北部、豊川市境の河岸段丘の上に浪ノ上稲荷社があります。
この牛川町には全国熊野神社参拝記にご報告したように町内に熊野神社が2社(牛川熊野社、浪ノ上熊野社)あり、しかも、中世の鎌倉街道が豊川(とよがわ)を渡った船着場が浪ノ上稲荷社の下にあるといわれています。
このため熊野神社の伝播は陸路と思っておりましたが、最近、三河部と熊野地方との交流は海路が主であり、しかも古代には、秦の始皇帝時代に徐福が不老長寿の霊薬を求めて日本(蓬莱)に来た伝説があり、九州、紀州、そして名古屋熱田神宮周辺やこの牛川に渡来、逗留したという徐福伝説です。 浪ノ上という地名からも海を連想します。
熱田神宮の蓬莱伝説は、冠にした「ひつまぶし店」があり、ある程度知られていますが、浪ノ上稲荷社伝説に
ついては、一部の人が知る程度の知名度です。
情報が少なく、不十分な内容ですが、今回、三河部の熊野神社参拝を二日間にかけて行った機会に、稲荷社参拝を組み入れ撮影してきました。貧弱な内容ですが、熊野地方との密接な関わりとして、ご報告させていただきます。
旧豊川河川敷地から見た河岸段丘。左が稲荷社の森、右が浪ノ上熊野社。
中世の街道はこのような微高地を利用しました。
段丘の頂付近になる稲荷社への入口。最近の石碑です。
境内の石積みされた石碑群。約20山ありました。
ネット検索では、徐福伝説に関連する人物と説明されていますが、大正時代に組立されたとありました。
具体的に説明できる資料がありません。先ずは、2千年前のロマン伝説と御紹介しました。
(河合さん)
番外編No.22
2009.9.4 UP
2020.8.12 更新