小田急線伊勢原駅下車、神奈中バス日向薬師行き乗車終点下車すぐ。
道路より一段高い石組みの上に鎮座、拝殿は草葺である。
珍しいのは木鼻で、こんなに低い位置で見るのは初めてだ。拝殿の彫り物も細かい。
境内の手水鉢には天保三年(1832)、石灯籠には文政五年(1822)相州愛甲郡煤ヶ谷村加藤浅右衛門の銘がある。
日向薬師は高野山真言宗の寺院で、日向山霊山寺と称し、以前紹介した八菅山光勝寺と同様、丹沢山系を活動範囲とする修験道の一大拠点であった。
明治維新後、廃仏毀釈の影響で、霊山寺に属していた諸坊が滅びたなかで残った別当の宝城寺が霊山寺を継承した。
祭神
猿田彦命、速玉男命(皇国地誌)
高麗王若光、熊野権現(社伝)
若光は新羅と百済に攻め滅ぼされた高句麗の王族で日本に亡命し、東国開発の勅命を受け大磯に上陸、その後この日向に落ち着いたと言われる。
由来
「新編武蔵風土記稿」によれば、
熊野白髭合社
村の鎮守なり、神体共に木像 長各一尺四寸八分日向薬師を本地佛とせり。
霊亀二年二月行基日向山に登り、薬師像を彫刻せんとする時、比二神出現して基に霊木を與ふ、依て爰に祀れる由、薬師縁起に見えたり。
薬師堂別当宝城坊持
(TATSUさん)
No.998
(てつによる追記)
日向薬師参道沿いに熊野神社はありましたが、江戸時代末期に白髭神社に合祀されました。
2009.7.6 UP
2020.8.18 更新