久本山熊野森にあった熊野社を明治時代に合祀
「江戸見桜」の近くの杉山神社の境内、拝殿の右に、境内社(御祭神不明)にはさまれて、石碑が残っている。
はっきりとは判別できないが以下のように読みとれる。
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武州橘樹郡
末長邑
熊野大権現
壽彗奈賀久景三
具摩埜也山桜時保
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ぶしゅうたちばなこおり
すえながむら
くまのだいごんげん
すえながくかげみつ
くまのややまざくら ときやす
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梅原時保という人の寿詞(ことほぎ)といわれる。
末永く影満つ熊野や山桜。
意味は「熊野の山桜は永遠に光に満ちている」。
新編相模風土記稿の末長村の項には杉山神社は記載されているが、熊野社の記載はない。
「阿弥陀堂」のことか?
地元の図書館で資料を探したが、熊野社に関する資料は見当たらなかった。
熊野社は歴史の中に消えてしまい、「江戸見桜」だけが残った。
(TATSUさん)
No.882
2008.10.19 UP
2020.8.13 更新