花山法皇による勧請と伝わる熊野神社
祭神
素戔鳴尊(すさのおのみこと)
御由緒
長徳2年(996年)、花山法皇が諸国御巡遊の砌、地形が紀州熊野に似たるものあるを見、その導者である佛眼上人に命じ「くず谷」山に社殿を造営し、熊野権現を祀り神領地を寄進したことに始まります。
瘡の神として全国より参拝者が多くあったと伝えられています。
境内に愛宕社、龍神宮、境外に白滝稲荷社があります。
また神事にも、熊野信仰と縁があるそうです。(獅子神事祭)
全国熊野神社参詣記の番外No.2(KAGさん投稿2002.1.30)の六甲山の熊野権現磐座にも佛眼上人の名前がみられます。どういう人物なのかと調べました。
一千年前、正暦年間、第六十五代花山法皇が三年間那智大滝の上に円成寺という庵を結び修行し、満願お礼として佛眼上人を導師に性空上人、弁光僧正に案内され、近畿一円三十三観音霊場を巡礼参拝復興されたとありました。
軽い気持ちで、熊野町を訪ねたのですが、調べると奥深いことがわかりました。
http://homepage.mac.com/ryomasuda/Saigoku/history/Kumano/index.html
(TATSUさん)
No.260
2004.10.7 UP
2020.6.11 更新