平清盛に感謝して勧請された熊野神社
東武東上線つきのわ駅南口より徒歩5分程度。
駅より線路に沿って東に向かう。
住宅の間の広場にぽつりと鎮座している。
御祭神
不詳
御由緒
不詳
鳥居の横に石碑があり、それによれば
熊野神社祭記伝
一一六七年 平清盛の抜擢を受けて 月輪高房は 武蔵國、國主大官に任命された。
高房は國主大官月輪高房として此の地に就任した。武蔵國 国衙館は当社より 南東方二百間の所に 大堀遺跡として 現存する。
高房は此の地を月輪と命名し 清盛の厚い配慮に深く謝して彼が信仰する那智熊野大社本営より御霊体を御分社奉りて地域の弥栄と國衙の安寧発展を祈願 奉祭したという。
元亀二年(一五七○)この社地が祭主野口家の関与するところとなり 党首はこの縁を起に熊野本営に参籠し伏して 願い御神牌を奉斎したといわれる。
以來四百五十年敬神崇拝 霊験あらたかにして御利益を賜わること縁に浅からず春秋の祭司として実に今日に至る。
とある。
「新編武蔵風土記稿」の月輪村の項には、熊野神社の記載はない。
野口家の屋敷神だったのかもしれない。
(TATSUさん)
No.1366
2010.11.14 UP
2025.3.18 更新