平康頼の勧請と伝える熊野神社
山の上の方にある神社で周りに家も少なく田んぼが広がっている。
ずっと日陰というくらい木が多くあまり日が差し込んでこない涼しい所。
御由緒
熊野神社 山路西寺谷
山路西寺谷にあ旧村社である。祭神は伊奘諾神、伊弉冉神、熊野権現である。平康頼が文治年間(1185〜1190年)に紀州熊野権現を勧請したと伝えられている。
康頼が京都の鹿ヶ谷における平家追討計画が発覚し、鬼界ヶ島へ流されたとき、熊野権現に祈って許されたためと伝えられている。
また、境内南西隅に経塚跡があり、神木「ナギ」がある。
熊野神社由緒記 山路西寺谷鎮座
祭神は伊奘諾神伊弉冊神二柱を祀る。熊野三所権現は平家一門の武将が氏族の諸護神として厚く崇敬した。
文治年間平朝臣康頼公が紀州熊野那智から分霊を迎えて勧請し郷土鎮護の産土神として氏子の人々が昔から深く信仰した。
阿波誌に曰く「熊野祠山路村に在り、文治平康頼置く、寺谷之を祀る」とある。
神木はナギの木、薙ぎ祓う意味である。
明治十二年村社の社格に列す。
昭和六十三年七月吉日記す 氏子中
(神龍さん)
No.646
2006.12.21 UP
2021.9.20 更新