平家物語
1 平清盛の熊野詣 2 藤原成親の配流 3 成経・康頼・俊寛の配流 4 平重盛の熊野詣
5 以仁王の挙兵 6 文覚上人の荒行 7 平清盛出生の秘密 8 平忠度の最期
9 平維盛の熊野詣 10 平維盛の入水 11 湛増、壇ノ浦へ 12 土佐房、斬られる
13 平六代の熊野詣 14 平忠房、斬られる
琵琶法師の総本山であったと伝えられる大智庵
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者も久しからず、たゞ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
御存じ、軍記物語の最高傑作、『平家物語』の冒頭部分。
『平家物語』に語られるのは、平家一門が繁栄し、そして滅亡へと至る、その過程。
その『平家物語』に語られる時代、政治の中枢にいたのが、後白河上皇でした。後白河上皇は、上皇として最多の34回もの熊野御幸を行った大の熊野信者。上皇や貴族たちによる熊野信仰が全盛を迎えた時代を『平家物語』は描いているのです。そのため『平家物語』にはそこかしこに熊野の影が見受けられます。
また、『平家物語』は、盲目僧形の芸人、琵琶法師によって琵琶に合わせて語られましたが、熊野本宮大社の近くにある今は無住の大智庵というお寺がかつて全国の琵琶法師の総本山とされていたと伝えられます(中世以後、幕府公認で盲人により組織された団体「当道(とうどう)」の根本史料『当道要集』を後に考証した『当道秘訣』巻下に記載された「熊野本宮光神山天夜尊御旧跡縁起」による)。
熊野は、山岳宗教の中心地のひとつでありながら、女性の参詣を拒みませんでした。不浄とされた月の障りでさえ、気にしませんでした。
また、やはり当時不浄とされた障害者の参詣もすすんで受け入れました。
熊野は「浄不浄をきらわず」あらゆる人々を分け隔てなく受け入れる数少ない聖地でした。熊野は盲人や癩者をも回復させることができる場所だと考えられ、盲人や癩者が治癒の奇跡を求めて熊野を参詣したのです。
そのため、盲目の琵琶法師の総本山が本宮にあるとする伝承が琵琶法師たちの間で生まれたのかもしれません。実際に総本山が熊野にあったかどうかはわかりませんが、琵琶法師と熊野には深いつながりがあり、それが『平家物語』により濃く熊野の影を落とさせたのかもしれません。
(てつ)
2009.7.22 UP
2022.2.4 更新
参考文献
- 佐藤謙三校注『平家物語 (上巻)』角川文庫ソフィア
- 梶原正昭・山下宏明 校注 新日本古典文学大系『平家物語(上)』岩波書店
- くまの文庫2『熊野中辺路 伝説(上)』熊野中辺路刊行会