近露の水は現世の不浄を祓う
熊野古道「中辺路(なかへち)」。中ノ河王子と熊瀬川王子の間、小広峠(こびろとうげ)にある小広王子。
建仁元年(1201年)の藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』には、10月14日の記事に「次に中の河、次にイハ神」とあり、小広王子の名は登場しません。
承元4年(1210年)の藤原頼資の『修明門院熊野御幸記』には、5月1日の記事に「次に檜曽原・継桜・中川など王子を例のごとく御参。次に熊瀬川で昼御養」とあり、やはり小広王子の名は登場しません。
案内板より。
天仁二年(1109)に熊野に参詣した藤原宗忠は、十月二十五日に「仲野川王子」に奉幣した後、「小平緒(こびらお)」「大平緒(おおびらお)」を経て、岩神峠にむかっています。また、建保五年(1217)に後鳥羽院と修明門院の参詣に随行した藤原頼資の日記には、「大平尾(おおびらお)」「小平尾(こびらお)」と書かれています。この王子社は、「小平緒」「小平尾」に由来すると考えられますが、江戸時代以前の記録に、王子としては登場しません。土地の人々が小広峠の上に祀った小祠が、いつの頃か小広王子といわれるようになったと推測されます。その跡地に紀州藩が享保八年(1723)に緑泥片岩の碑を建て、明治末期には、この碑だけの小広王子神社として、金比羅神社(現、近野神社)に合祀されました。もとの小広峠が道路建設で崩されたため、王子碑はここに移されていますが、石碑の上部が欠けて、「王子」の文字のみとなっています。
上部が欠けた緑泥片岩の石碑。
小広峠の狼
小広峠は吼比狼(こびろう)峠から来ているといわれています。
小広峠の辺は昔は昼なお暗い山道で、野獣や魔物が現れる不気味な場所でしたが、それらから旅人や村人を守ってくれる狼の群れがいたといわれます。そこから「吼比狼峠」と呼ばれるようになり、「小広峠」となったとのことです。
また、昔は、この峠の周りの山々で、夜中に狼がいっせいに吼えたてることがあり、土地の人たちはこれを千匹狼と呼び、これは狼が吉野の山上ケ岳へ参るために勢ぞろいしているのだといわれました。
狼は、ススキの穂1本あればその身を隠すといわれ、その神速、忍耐強さ、堂々たる姿などから「山の神さん」として敬われていました。
(てつ)
2009.5.29 UP
2023.5.30 更新
参考文献
- くまの文庫4『熊野中辺路 古道と王子社』熊野中辺路刊行会
- 本宮町史編さん委員会『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』本宮町
- 西口勇『くまの九十九王子をゆく 第二部 中辺路・大辺路・小辺路編―田辺・高野から那智・新宮へ―』燃焼社
小広王子へ
アクセス:JR紀伊田辺駅から龍神バス熊野本宮方面行きで1時間15分、小広峠バス停下車、徒歩約20分(※期間限定1日2便の旧国道経由の古道号なら小広王子バス停下車すぐ)
駐車場:駐車場はないが、付近に駐車スペースはあり