火の神を産んで亡くなったイザナミの魂を祭る神事
『日本書紀』には「一書に曰く」として次のようなことが書かれています。
イザナミは、火の神カグツチノカミを生むときに、陰部に大火傷を負って死んでしまう。その遺体は紀伊国の熊野の有馬村に葬られる。村人は、この神の魂を祭るのに、花のときは花をもって祭り、鼓・笛・幡旗をもって歌ったり舞ったりして祭る。
多くの神々を生んだイザナミは、最後に火の神カグツチを生み落とし、陰部を焼かれて死んでしまいますが、そのイザナミを葬った場所がこの花の窟だとされています。
花の窟神社では、毎年2月2日と10月2日に、『日本書紀』にあるような、花を飾り、舞を捧げる「お綱掛け神事」という神事が行われます(上の写真は2011年10月2日に撮影)。
季節の花、扇を結んだ幟をとりつけた百数十mもの長い綱が、氏子たちの手により大岩の上から国道を越え七里御浜まで引かれ張りわたされます。そして舞などが捧げられます。
神事は午前10:00ころから始まるようです。綱を引っ張るのは10:30ころ。神事が終わるのは12:00ころ。
人類の火の獲得を思い起こさせる火の祭り
紀伊国の地誌 『紀伊続風土記』には花の窟のお祭りについて以下のように記されています(私による現代語訳)。
祭日は年に2月2日と10月2日の2度である。寛文記に昔は祭日には紅の綱、錦の幡、金銀で花を作り散らし、火の祭といったとある。
かつては「火の祭り」と呼んだ花の窟神社の大祭。火の神を生んで亡くなったイザナミの魂を祭るお祭り。普通、神様は死にません。お隠れになるだけです。なぜイザナミは火の神を生んで亡くなったのでしょうか。
人類の祖先が最初に火を獲得したのは、自然に起きた森林火災の焼け跡からでしょう。
人類は、火を使うことによって、金属器を作ったり、森を切り開いて農耕をしたり、粘土と水から土器を作ったり、食物を調理したりすることができるようになりました。
しかし、火を使うことは、森を切り開くこと、自然を傷つけること。
自分達の存在を根底から支えてくれる母のような自然。しかしながら、火を使うことを覚えた人類は、その母なる自然を破壊することによってしか生きていけなくなってしまいました。
母なる存在の破壊の上に人間の生活が成り立っているのだという現実認識から、火を生むことによって母なる存在が 死んでしまうという神話が生まれたのでしょうか。
プロメテウスは人間に火を与えた罰で、生きながらにして毎日肝臓をハゲタカについばまれるという責め苦を受けました。それほどまでに火は危険なもの。
火は人類に多大なる恩恵をもたらし、火の獲得により人類の文明が始まりました。
花の窟の「火の祭り」は、人類の祖先が最初に火を獲得したときのことを思い起こさせるお祭りです。
もうひとつの火を獲得を思い起こさせるお祭り
熊野にはこの他にもうひとつ人類の祖先が最初に火を獲得したときのことを思い起こさせるお祭りがあります。神倉神社のお燈まつりがそれです。
神倉神社のお燈まつりは、山上でおこした火をタイマツにともして麓に降りてくるという、ただそれだけのシンプルな祭りです。
人類の祖先が火の獲得したときの記憶、あるいは人類の祖先が火のおこし方を発明したときの記憶を今に伝えているかのようです。
火の神を産んで亡くなったイザナミの魂を祭るお祭りと、人類の祖先の火の獲得・火の発明を思わせるお祭り。
熊野には、2つの、火祭りの原点的なものがあるのです。
お綱かけ神事|2002.10.2|2007.2.2|2010.2.2|2011.2.2|2014.10.2|
(てつ)
2007.2.7 UP
2020.2.2 更新
参考文献
- 宇治谷孟『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫
- 別冊太陽『熊野 異界への旅』平凡社
花窟神社へ
アクセス:JR熊野市駅から徒歩15分
駐車場:無料駐車場あり