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『熊野年鑑』現代語訳 一条

一条天皇

現代語訳

永延2年 戊子(つちのえね)

12月に快真を別当に任じた。京師より室に入った。別当は春から夏まで普請した。

※快真は「熊野別当代々次第」には第11代熊野別当として記されています。

一条院の御時、永延2年12月29日補任。泰救の嫡男。男子1人、女子2人。治山39年である。万寿元年6月20日入滅。

第11代熊野別当 快真:熊野別当代々次第:紀伊続風土記 現代語訳

正暦元年 庚寅(かのえとら)

9月に熊野へ勅使が来た。左中弁実之。

正暦2年 辛卯(かのとう)

2月に内裏より熊野へ神馬を献上した。去年熊野定辻堅に山伏が多く入り来た。僧は経教を源信に贈った。

正暦3年 壬辰(みずのえたつ)

5月に法皇は熊野三山に御幸し宝物を納めた。熊野寺号山号。補陀落寺に勅額が来た。

長徳4年 戊戌(つちのえいぬ)

天下に疱瘡が大流行した。

長保元年

正月に熊野は泰救を別当に補任した。□□は陸奥より熊野に入った。
5月の庚申に三尸(さんし)の御遊(ぎょゆう)があり、1つの茎に2つの花が咲いた白蓮を献上した。

※泰救は 「熊野別当代々次第」には第10代熊野別当として記されています。

一条院の御時、長保元年正月3日補任。父は藤原実方中将、母は陸奥国の人である。殊勝別当が嫡女を儲けたことから、泰救を嫡子にし、別当に補任。治山20年である。寛仁2年10月20日入滅。男子3人、女子2人。

第10代熊野別当 泰救:熊野別当代々次第:紀伊続風土記 現代語訳

※三尸御遊。庚申御遊。平安時代、貴族は庚申の夜に徹夜し、詩歌管弦の遊びをした。

寛弘2年 乙巳(きのとみ)

熊野の大島で雷が家に落ち、大船2艘が壊れ、人を損した。

寛弘3年 丙午(ひのえうま)

異国の賊船が来た。

寛弘7年 庚戌(かのえいぬ)

熊野別当泰救の次男及び家人が那智山に赴いた。

原文

永延 戊子

十二月快真別当ニ任ス京師ヨリ室ニ入別当普請自春至夏

延暦 庚寅

九月熊野ヘ勅使左中弁実之

二 辛卯

二月内裡裏ヨリ熊野ヘ神馬を上ル去年熊野定辻堅山伏多入来僧贈経教於源信

三 壬辰

五月法皇幸熊野三山納宝物熊野寺号山号 補陀落寺勅額来

長徳 戊戌

天下疱瘡大流行

長保元

正月熊野泰救補別当□□陸奥ヨリ熊野ニ入
五月庚申有三尸御遊上一茎二華咲白蓮

寛弘 乙巳

熊野大島落雷家破大船二艘、人ヲ損ス

三 丙子

異国ノ賊船来

 

 

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(てつ)

2021.12.14 UP

参考文献