熊野三山の統括者
熊野別当とは熊野三山の実際の統括者。その役職は社僧(神社に属する僧侶)が務め、代々世襲制。
熊野別当は宗教組織の長であるだけでなく、熊野水軍などの軍事組織の長でもありました。
熊野別当でもっとも有名なのが、平安時代末期の第21代熊野別当の湛増(たんぞう)。
源平の合戦も大詰めに入ったころ、湛増は平氏に縁があったため平氏を見限ることができず、平氏に味方するか源氏に味方するかを迷い、田辺の新熊野神社(いまくまのじんじゃ:現 闘鶏神社)で占いをたて、神意を問いました。
その占いとは、社前で赤白の鶏をたたかわせ、赤の鶏を平氏、白の鶏を源氏に見立てて勝ったほうに味方するというものでした。赤白の鶏を相対峙させてみると、白の鶏がすべて勝ちました。これを見て、湛増は源氏に味方することを決めたといいます。
湛増は200余艘に及ぶ熊野水軍を率いて壇の浦へ出陣。平氏を壇の浦に沈め、源氏を勝利に導きました。
義経の従者弁慶は湛増の子とされ、熊野には数カ所、田辺や鮒田など、弁慶が生まれたと伝わる場所があります。
この文章の最初に「熊野別当とは熊野三山の実際上の統括者」と書きましたが、形式的な役職としては熊野三山検校(けんぎょう)という役職がありました。熊野三山検校は名誉職的なもので、実際に熊野に赴任することはなく、熊野御幸の折に先達をつとめる程度であったようです。
熊野別当関連の説話
湛増について詳しくは湛増ファンサイト「たんぞう」で。
熊野別当家略系図
長快15
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長範16 長兼17 湛快18
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行範19 範智 20 湛増21 湛政24
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範誉 行快22 範命23 行遍 湛顕 湛真27
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尋快28 琳快25 定範 良範 快命26 覚遍 快実 湛順 定湛29
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浄快30 俊快 長政 良智 覚増 正湛31,36 堯湛34
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快覚 長真32 湛智 定増 慶湛
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快全 長慶33,35 湛誉 定有 宗湛39
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定遍40
(てつ)
2008.12.22 UP
2008.12.27 更新
2021.11.19 更新
参考文献
- 山本殖生 監修『熊野―異界への旅』別冊太陽 平凡社