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2005.2.6
新宮市の熊野速玉大社摂社の神倉神社で、「お燈祭り」が斎行されました。お燈祭りは敏達天皇四年(西暦575年)の「熊野年代記」にも記述のある古くから伝わる神事で、熊野地方が世界遺産登録されて初のお燈祭りということからか、大勢の人がつめかけ、神倉神社前で開門を待っていました。
こちらは、開門前のゴトビキ岩遠景。怒声とも歓声ともつかない「うおお〜!」という上り子さんたちの山の上のどよめきが、街中に轟き渡ります。松明を持った上り子さんたちが、ゴトビキ岩前に大勢待機しています(写真をクリックすると拡大表示されます)。まさに火の山。 |
地元の高齢者に「今、大きな火が上がっていったやろ?あれが上がると、まもなく開門になるんや。」と、解説していただきながら、某所で撮影。午後8時、山伏の法螺貝の音と、一層強くなった上り子さんたちのどよめきとともに開門。「山は火の滝下り竜」と、「新宮節」に歌われているように、松明を持った約2000人の上り子さんたちが538段あるという石段を降りてくる様は壮観でした。毎年のことながらお祭りは女人禁制なので神社の外から撮影するしか仕方がありませんが、写真の遠景ではうまくお伝えできないのが残念!(写真をクリックすると拡大表示されます)ちなみに普段の神倉神社はこんなかんじです。 |
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下山した白装束の上り子さんたちを、川越しに撮影。石段前あたりで、御神火をわけあっています。私の横で外国の人が「Like a
campfire(キャンプファイヤーみたい)」と言っているのが聞こえましたが、「NO!」神事の火なのですから、ぜんぜん違いますヨ!「御神火」って、どう訳せばいいのかな??(^^;
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石段前の鳥居。警備の機動隊の人々も待機しています。「大勢おるから、ゆっくりしか降りられへんねん」と、後ろの方から降りて来た上り子さんが話していました。ちなみに上り子さんたちは去年より増えて2215名いらしたそうです。 |
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祭りも終盤になって、だいぶ落ち着いて来た頃の神倉神社石段前。川越しに撮影しました。写真をクリックすると動画が始まります(15秒、4.2MBあるのでダウンロードに時間がかかります)。 |
神倉神社前の道に落ちた松明の御神火。周りにいた人たちが火に驚いています。このお祭りは女人禁制なので、多くの女性が上り子さんたちが降りるのを神社前で待ち受けています。 |
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午後8時の開門から、1時間ほど経過。上り子さんたちがだいぶ降りたので、その人たちを待っていた人が減った分、観衆も減ってきました。 |
街の高齢の人たちが「わしらの若い頃は、もっと勢いがあったのう」と言っていたのも聞こえて、お祭りの中でそういった古老の方々のお話しが聞こえてくるのも面白いものです。 |
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寒さをふせぐためか、松明の煙りをふせぐためか、マスクをしている人たちも結構いました。後ろの方の人たちは、ゆっくり降りて来ます。 |
毎年子供連れの人たちが上られますが、神社前で御神火をわけあっている人たちの中に、かわいい上り子さんを発見♪こうして御神火をわけるように、熊野の伝統文化や神事が次世代に守り伝えられてゆきますように、願いたいものです。 |
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最後に山伏さんたちが法螺貝を吹き、拍手と共に神倉神社での今日の神事は終了しました。参列の御一行はこれから阿須賀社→速玉大社→妙心寺を順拝され、奉幣されます。去年の御神歌がまた拝聴でき、うれしく思いました。 |
背中に「神」と書いてあるのはお祭りの警護にあたる「介釈人」の方々の法被です。おとなりの方の法被には天狗の絵がついていますが、神倉神社境内に猿田彦神社がお祀りされている事と関連があるのでしょうか。 空気は寒いですが、今年もお燈祭りを拝見できたうれしさで、いっぱいになりました。 |