熊野に伝わる弘法大師のお話
蒔かずの蕎麦(本宮町大瀬に伝わる話)
昔、大瀬の山上の馬頭観音の傍らにある家のおばあさんのところに弘法大師がやってきて、一晩の宿を所望した。おばあさんは食べさせるものがなかったため、やむを得ず、種にとっていたソバ種3合を臼でひいて食べさせた。大師は感謝して、「そのソバ殻をその辺りに放っておけば自然にソバが生えてくるようになる」とおばあさんに教えた。おばあさんは不思議なことを言う坊さんだと思ったが、言われた通りにしてみるとソバが生えてきたという。それ以後、毎年、種を蒔かなくても、自然にソバが生えてくるようになった。
大瀬の馬頭観音の境内には蕎麦大師が祭られています。
天然痘除けのサカキ(本宮町上大野に伝わる話)
実相寺の近くにオカメというおばあさんが住んでいた。そこへ弘法大師が訪れ、昼食を食べようとしてお茶を所望した。おばあさんにお茶をもらうと、大師は昼食をとった。食事には榊(サカキ)の箸を使ったが、食事が終わると、その箸を地面に突き立て、「これが大きく成長した折には、この村には天然痘が一切ないようにしてやろう」とおばあさんに約束して立ち去った。榊の箸は根付き、成長し、それ以後、村には天然痘がおこらなくなったという。
また、村の東方に天然痘が流行すると、榊の東側の葉に黒い斑点がつき、西方に天然痘が流行すると、榊の西側の葉に黒い斑点ができて、村の人々に代わって天然痘を患ってくれるという。
弘法杉
大塔山というの山の本宮町内の麓の林道脇に「弘法杉」と呼ばれる2本の杉の巨木がある。その杉は、弘法大師が杉の箸を地面に突き立てたところ、根付いて育ったものだという。
鳴かないクツワムシ(本宮町桧葉に伝わる話)
昔、弘法大師が桧葉で勉強していたところ、クツワムシが「ガシャガシャ」と鳴いてあまりにやかましい。そこで、大師はクツワムシに「黙っておれ」と言い、それ以後、桧葉ではクツワムシは鳴かなくなったとか。
餅をつかない里(熊野川町志古に伝わる話)
弘法大師が志古のある家に来たとき、ちょうどその家ではモチ米を蒸していた。そこで、大師は餅を所望したが、家の者は「これは餅ではなく粥だ」と嘘をついて餅を与えなかった。それ以後、志古では、いくら餅をついても固まらなくなってしまった。それで、餅をつかなくなったという。
エンドウ豆を作らない里(上富田町朝来に伝わる話)
大師にエンドウ豆の喜捨を乞われたが、一粒も与えなかったので、その罰としてエンドウ豆を作ると、サヤに穴もないのに必ず虫が入るようになったという。そのため、エンドウ豆を作らなくなった。
橋杭岩(串本町くじ野川に伝わる話)
国の名勝・天然記念物に指定されている橋杭岩にはこんな伝説が。
弘法大師と天の邪鬼とが一晩で大島まで橋を架ける競争をしたが、負けそうになった天邪鬼が鶏の鳴きまねをして夜が明けたと思わせたため、弘法大師が作業を止め、橋を完成させることなく杭だけで終わったという。
弘法井戸
(上富田町朝来に伝わる話)
昔、弘法大師が熊野詣の途上、咽が乾き、村びとに水を所望したところ、村びとは遠くまで汲みに行って与えた。それを感謝した大師は「この土地は水に不自由のようだから、水の便をはかってやろう」と祈祷を始めた。すると、乾いた土地から清水が湧き出てきたという。
(本宮町三越に伝わる話)
熊野九十九王子のひとつ、水呑(みずのみ)王子は、弘法大師が地面に杖を突き立てて、清水を沸き出させた場所だという。
妙法山阿弥陀寺(那智勝浦町南平野)
弘法大師は高野山開創の前年(815年)、那智の地を訪れ、那智の滝で行をし、妙法山の山頂に卒塔婆を立てたといいます。さらに阿弥陀如来像を彫られたとも。
(Eさんからの情報)
弘法大師について詳しくはこちら。
(てつ)
2005.3.29 UP
2022.7.18 更新
参考文献
- 近畿民俗学会『近畿民俗叢書 熊野の民俗 和歌山県本宮町』初芝文庫
- くまの文庫2『熊野中辺路 伝説(上)』熊野中辺路刊行会