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『宝蔵絵詞』現代語訳

後花園天皇の父・後崇光院が書写した切目王子にまつわる伝承


切目神社(切目王子跡) 和歌山県日高郡印南町

 熊野五所王子の5体すべての王子をお祀りし、熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高いとされる五体王子のひとつ、切目王子(きりめおうじ)。

 切目王子にまつわる伝承を物語る絵巻物の詞書を伏見宮貞成親王(ふしみのみや さだふさ しんのう:室町時代の皇族)が書き写した『宝蔵絵詞』と呼ばれる写本があります(宮内庁書陵部蔵)。

 絵巻物そのものは現存せず、写本も上中下3巻のうち現存するのは下巻のみ。この中で切目王子は切部の王子(きりべのおうじ)と書かれています。

 伏見宮貞成親王は後花園天皇の父。貞成親王自身は即位しませんでしたが、後花園天皇の即位後、太上天皇の尊号を受け、後崇光院(ごすこういん)と呼ばれました。

 天皇にもなり得る位置にいた貞成親王が書写した切目王子の伝承。

『宝蔵絵詞』現代語訳

  下巻

 帰ってこの経緯を僧に言って、(本)をつきて、この度は現れ現して(?)、王子が便所にも付いて来られるので、僧はもてあまして、古くからいる者に「こおうの身(?)にお沿いになって少しもお離れにならないのを、どうしたら身から離し申し上げることができるのか。あさましい振る舞いなどをするのをご覧になるか。世に恥ずかしく悲しいことだ」と相談すると、「簡単なことだ。腐った梛(ナギ)の木のよくよく臭いのに鰯(イワシ)という魚を入れて頭から浴びよ」と言うので、「簡単なことだ」とその通りにして浴びたところ、王子が現れておっしゃった。「熊野権現の付けとの仰せがあればこそ、このような辛いことをもしていたのだ。どうしてこのような情けないことをするか」と鼻をお弾きになったところ、僧侶は死んだ。

  絵

 さて童子(王子)は熊野の御山にお帰りになって、「付いてお仕えした僧は死にましたので、帰ってまいりました」と申し上げたところ、みな、「とんでもないことをしたものだ」と言って、童子を捕らえて右の足を切って、切辺(きりべ)の山にお放地になられた。その後、童子は権現が勘当しそうな様子もなく、そうだからといってどうしようかと思って、熊野へ参って利益をこうむって下向する者の福や幸いを取って世にあろうと心にお悟りになって、下向する者の福や幸いをお取りになった。

  絵

その時、権現がもてあまして稲荷の大明神(伏見稲荷)を召して、「自分のもとに参る者の福や幸いを切部の王子が取るのをどうしたらよいか」と仰せられた。「まことに力の及ばぬことでございます。足を切って山にお放ちになれば、どうしようもなく、お仕え申し上げるのが理でございます。ただし、自分のもとに阿古町(あこまち:伏見稲荷大明神の神使の狐)と申す者がおります。それと王子とは筋なき仲でございます。阿古町に王子と語らってその心を見ましょう」と申し上げた。権現は「返す返すも神妙である。早くそうなさってください」との仰せられた。

  絵

 稲荷の大明神は阿古町を召して、切部の皇子と語らうべき由を仰せられた。阿古町は承って、「出向いて向き合い、語らって心を見ましょう」と申し上げなさった。王子のもとへ行って言った。「我が身はひとえに王子を頼み申し上げているのに、熊野に参って利益をこうむって下向する者の福や幸いをお取りになるので、我がもとへ来る者どもが詣で来てて泣き悲しみます。どうしたらよいでしょうか」と申し上げたところ、王子は「これこそは知り得ませんでした。どうしたら阿古町のもとへ参る者と知ることができましょうか。阿古町のように化粧した者ならば、阿古町のもとに参る者と知ることができます」と言うと、阿古町は「化粧する者は世に多くいます。また、僧や男はどのようにして化粧しましょうか」とおっしゃった。王子は「我は甚だしく豆の粉を臭く思います。なので豆の粉を化粧にした者を、阿古町のもとへ参る者と知って、その福と幸いは取りません」とおっしゃった。阿古町は「神妙でございます」とおっしゃって、喜んで帰って大明神に申し上げなさった。

  絵

 伏見稲荷大明神はこの経緯を権現に申し上げなさった。その後、この通りにご託宣があって後、豆の化粧をするのだ。昔はこのことを知っている者はなかった。関東地方より参った先達(修験者の先導者)が豆の粉を作る理由がはっきりとわからなくて、熊野権現に7日間祈り申し上げたところ、この通りにご示現なさった。それから語り伝えて、この由来を広めたのだ。それより前には知った人もなかった。ただし、本体と付くべき所は切部の皇子葛城山のむくさかなりと示現なさったとの由来を語り伝えている(?)。

  絵

  以上下巻

     文安3年(1446年)2月15日宝蔵絵詞写し了る

豆の粉(きな粉)の化粧

 とある僧に付き従ってお仕えせよと熊野権現から命じられた切目王子は便所まで付いていって僧にお仕えしました。僧は切目王子を身から離すために腐った梛の木とイワシを浴びましたが、それに怒った切目王子は僧を殺してしまいました。切目王子は罰として右足を切られて切目の山中に放逐されました。それから切目王子は熊野を参詣してご利益を得た人々の福や幸いを奪うようになりました。

 困った熊野権現は伏見稲荷大明神に相談すると、伏見稲荷大明神は自分に仕えるキツネの神霊・阿古町が切目王子と仲がよかったので、阿古町を切目王子のもとに出向かせ、熊野の参詣者で阿古町の参詣者でもある者は襲わないと約束させます。阿古町の参詣者でもあることの目印として取り決めたのが、豆の粉(まめのこ:きな粉)の化粧でした。

 豆の粉の化粧のことは、室町幕府三代将軍・足利義満の側室・北野殿が応永34年(1427年)に熊野参詣したときに先達をつとめた住心院僧正・実意が記した日記『熊野詣日記』にも記されています。

10月6日 曇り
……
五体王子である切目の王子の御前にてお化粧品を差し上げる。豆の粉である。お額、お鼻の先、左右のお頬の先、おあごなどにお塗りになって、まさに王子の御前を通り申し上げなさるときには稲荷の氏子のように「こうこう」とおっしゃるようにと申し入れた。

 「こうこう」というのはキツネの鳴き声の真似。
この切目王子の前での豆の粉の化粧が節分の豆まきの元であるとの説もあるそうです。

切目王子

 和歌山県印南町にある切目山は熊野権現が一時鎮座したとされる土地で、そこに祀られる切目王子は熊野九十九王子のうちで最も重要視された神様であっただろうと思われます。

 切目王子は奥三河の花祭では最も重要な神様とされ、石見神楽には切目王子が登場する演目もあります。

(てつ)

2020.2.3 UP

参考文献