切目王子を舞台とする石見神楽の演目
島根県の石見地方と広島県の安芸地方北部に伝わる伝統芸能、石見神楽(いわみかぐら)。その演目に熊野が関わるものがいくつかあります。
ここでご紹介するのは、和歌山県印南町にある熊野九十九王子のひとつ切目王子(現・切目神社)が舞台の「羯鼓(かっこ)」と「切目(きりめ)」。この2つはひと繋がりの演目で、セットで演じられます。
「羯鼓」「切目」現代語訳(『校定石見神楽台本』より)
羯鼓 採物・太鼓(後には幣と扇)
「そもそもこのようにおります者は、紀伊の国の熊野権現、切目の王子にお仕え申す神祢宜(かんねぎ)でございます。
さて。この太鼓は高天原(たかまがはら)より降り来たとき、てんてん、どうどうと打ってみると、天下泰平、国家安穏と鳴り響き、また片方を打ってみると五穀豊穣、商売繁昌となおなほ(御当所)大繁盛と鳴り響きました。その後、熊野の宮に納まり、御宝物の太鼓と相成りました。
さてこの度、当社御祭礼御神楽につき、この太鼓をよろしき場所に据え置いて帰れと切目の王子の詔を受けて、ここまで進み出てきました。
(太鼓をいろいろ工夫して据える)
さて、羯鼓(かっこ)を据え置きましたところ、あまりに難しい大御神なので、高ければ高いとおっしゃる、低ければ低いとおっしゃる。高い低いの真ん中の所に今一度据え置きたいので、まだまだ楽人たちはお囃子してください。
(太鼓を据え直して叩く)
ようやく羯鼓を据え置きましたところ、切目の王子がここに御出現ましまして、村中安全の御祈祷なされます間、神姿をしずしずと御拝みくださませ」
(舞を舞う)
切目 採物・太鼓・幣・扇
(介添がまず出て舞う)
歌「熊野なる切目の王子の竹柏(なぎ)の葉は髪挿(かざし)に挿いて御座へ参ろや
「熊野路はものうき旅と思ふらん ちとせの川で思ひ知らせん
(切目、鬼ばやしで舞う)
切目「それ神といえば天地未分の昔から虚空円満におはします。これはすなわち一元の神、また五行別像のその理はいかに」
介添「木火土金水、青黄赤白黒の色を得て、五柱の神と現われなさる」
切目「さてその垂迹は」
介添「事解男(ことさかお)、速玉の男(はやたまのお)、伊弉諾(いざなぎ)の神社」
切目「無念の鼓は」
介添「父母の声」
切目「羯鼓太鼓は」
介添「幼児の声」
切目「みな神風の源は」
介添「重波(しきなみ)よする伊勢の宮。古歌にいわく、片そぎの千木(ちぎ)は内外(うちと)に変れども誓ひは同じ伊勢の神風」
はやし『さて和歌を上げたまふ。千早ふる神楽の遊びおもしろし
(舞あり。介添が入り、神撥をもって舞い、太鼓を打つ。次に太鼓と撥で舞う)
『思ひ出でたる初瀬川の、波の太鼓を打たんとて、自ら波をたたみ上げて、さて乙姫の舞の袖、かざすや波の、太鼓の拍子を揃えて、とうとうとうと踏む足音に、鳴る雷(いかづち)を踏みとどろこし、あめもはらはら晴(はら)やかなり
(現代語訳終了)
切目王子
「かっ鼓」は、切目王子の神職が太鼓の適切な置き場所をコミカルな動きで探る演目。別の台本では羯鼓が高天原から降ってきた場所を音無川の辺とするものがあります。
「切目」は、切目王子と介添の二人が問答し、切目の王子が太鼓を打ち鳴らし天下泰平、国家安泰を祈る演目です。
和歌山県印南町にある切目山は熊野権現が一時鎮座したとされる土地で、そこに祀られる切目王子は熊野九十九王子のうちで最も重要視された神様であっただろうと思われます。切目王子は奥三河の花祭でも最も重要な神様とされました。
(てつ)
(写真はそま、2004年9月18日の切目神社での公演)
(てつ)
2011.12.13 UP
2014.3.25 更新
2019.12.21 更新
参考文献
- 注訳編者 篠原實『校定石見神楽台本』細川神楽衣装店
- 石見神楽 - 島根県浜田市
- 石見神楽 島根県浜田市の伝統芸能 石見神楽 西村社中
- 鈴木正崇『熊野と神楽: 聖地の根源的力を求めて 』平凡社(ブックレット“書物をひらく”)