大塔宮熊野落ちの事 現代語訳
護良親王がご祭神の勝手神社
『太平記』より熊野が関連する箇所をピックアップ。巻第五「大塔宮熊野落事」。
大塔宮(おおとうのみや/だいとうのみや)は、後醍醐天皇の皇子、護良親王(もりよししんのう/もりながしんのう)。第116代天台座主。元弘元年(1331年)に後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企てると、還俗して参戦。各地を転々として幕府軍と戦い続け、建武の親政を成功させました。
護良親王は熊野にもやってきました。そのときの様子が『太平記』巻第五「大塔宮熊野落事」で語られています。
(てつ)
2012.8.3 UP
2019.12.26 更新
参考文献
- 日本古典文学体系34『太平記 一』岩波書店
- 乾克己・小池正胤・志村有弘・高橋貢・鳥越文蔵 編『日本伝奇伝説大事典』角川書店
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