花山法皇(968〜1008)。第65代天皇。
984年に17歳で即位するも、986年、藤原氏の陰謀により在位2年を待たずに19歳の若さで退位、出家し、法皇となりました。
信じていた者に裏切られ、深く傷付いた法皇は、追われるように京を発ち、熊野に向かいました。那智の山中、那智の滝の上流にある「二の滝」近くに庵を結び、千日の修行をしたと伝えられます。
・『後拾遺和歌集』
熊野の道にて、御心地例ならずおぼされけるに、
海士(あま)の塩焼きけるを御覧じて、
旅の空よはの煙(けぶり)とのぼりなばあまの藻塩火(もしほび)たくかとや見ん
(巻第九 羇旅 503)
(訳)この旅の途中で息絶え、火葬の煙りとなって立ちのぼったとしたら、海人が海藻から塩をとるための火をたいているかと見るだろうか。
追われるように京を発ち、熊野に向かった花山法皇が、旅の途中に詠んだ歌。陰謀により退位させられた花山院の心細さが伝わります。
・『続拾遺和歌集』
岩田河渡る心の深ければ神もあはれと思はざらめや
(巻第二十 神祀)
(訳)岩田川を渡るときの信心が深ければ神もあわれだと思わないことがあろうか。
岩田川は、中世の熊野詣のメインルート中辺路(なかへち)を歩く道者が初めて出会う熊野の霊域から流れ出ている川。
その聖なる流れは強力な浄化力をもち、川を徒歩で渡ることで罪業をぬぐいさることができるとされました。
・『詞花和歌集』
修行し歩(あり)かせ給けるに、
桜花のさきたりける下に休ませ給てよませ給ける
木(こ)のもとをすみかとすればおのづから花見る人になりぬべきかな
(『詞花和歌集』巻第九 雑上 276)
(訳)桜の木の下を住処ととすると、花を見る人に自然に(自分の意志とは無関係に)なってしまいそうだなあ。
おそらくは熊野那智での修行中に詠んだ歌。
・『夫木抄』
石走る滝にまがいて那智の山高嶺を見れば花の白雲
(四)
(訳)那智の山を見ると滝と桜の花が入り乱れていることだ。
この歌は花山院の代表歌で、後世、この歌を本歌取りして詠まれた歌は多い。
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(てつ)
2005.9.2 UP
◆ 参考文献
新日本古典文学大系7『拾遺和歌集』岩波書店
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■花山法皇の熊野関連の歌
・詞花集…1首
・後拾遺集…1首
・続拾遺集…1首
・夫木抄…1首
■登場する熊野の地名
・熊野…1首
・岩田河…1首
・那智…1首
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