岩田川・岩田を詠んだ歌
岩田川
果無(はてなし)山脈に源を発し、中辺路町、大塔村、上富田町を流れ、白浜町富田の辺で紀伊水道に注ぐ富田川(とんだがわ。河川延長112.4km)の中流をかつて岩田川(いわたがわ。石田川とも書く)と呼びました。
中世、熊野は浄土の地であると見なされたので、熊野(=浄土)に入るには、いったん死ななければなりませんでした(儀礼的な意味で)。
そのための場所が岩田川でした。岩田川は、中世の熊野詣のメインルート中辺路(なかへち)を歩く道者が初めて出会う熊野の霊域から流れ出ている川です。
初めて出会う熊野から流れる清らかな川は死の舞台にふさわしく、熊野詣の道中で最も神聖視されたこの川は三途の川に見立てられました。
「三途の川を渡る」といいますが、熊野道者は岩田川を渡ることで儀礼的に死ぬことになるのです。
その聖なる流れは強力な浄化力をもち、川を徒歩で渡ることで罪業をぬぐいさることができるとされました。道者は浄められながら死ぬことができました。
道者が初めて岩田川に出会う稲葉根(いなばね)王子から熊野の霊域の入り口である滝尻王子まで、道者は十何度と岩田川を徒歩で渡りました。何度も何度も岩田川を徒渉して、道者はその死と浄化の体験を深めていきました。
1.『続拾遺和歌集』から1首
岩田河渡る心の深ければ 神もあはれと思はざらめや
(訳)岩田川を渡るときの信心が深ければ神もあわれだと思わないことがあろうか。
(花山院 巻第二十 神祀)
2.藤原為家の家集『中院詠草』から1首
五月雨 熊野山二十首
五月雨(さみだれ)はゆくさきふかし いはた河渡る瀬ごとに水まさりつゝ
(訳)五月雨でゆく先々でこれからますます深くなっていきそうな岩田川。渡る瀬ごとに水かさが増さっていくよ。
「ゆくさき」に「行く先々」と「将来」とを掛ける。
(夏 33)
岩田
現在の和歌山県西牟婁郡上富田町岩田。熊野参詣道「中辺路」を歩く道者が初めて岩田川に出会う辺です。
1.西行法師の家集『山家集』から1首
夏、熊野へまいりけるに、岩田と申す所に涼みて、下向しける人につけて、京へ、西往上人の許へ遣はしける
松が根の岩田の岸の夕涼み 君があれなとおもほゆるかな
(訳)熊野詣を終えて帰る人に言付けて、終生の友人・西往上人に送った歌。熊野詣の途中、岩田の岸で夕涼みをしていると、あなたが一緒にいたのならなあと思われることよ。
「松が根」は枕詞的用法。岩を起こす。
(下 雑 1077)
(てつ)
2003.6.11 UP
2011.2.1 更新
2020.8.31 更新
参考文献
- 『新編国歌大観 第一巻 勅撰集編 歌集』角川書店
- 新日本古典文学大系46『中世和歌集 鎌倉篇』 岩波書店
- 新潮日本古典集成49『山家集』 新潮社
- 岩田川(岩田郷):紀伊続風土記(現代語訳)