■ 熊野の歌

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◆ 詞花和歌集


 『詞花和歌集』は、崇徳上皇の院宣により編纂された第六勅撰和歌集。選者は藤原顕輔(あきすけ。1190〜1155)。
 近衛天皇の御代、
鳥羽上皇の院政下において、崇徳院が退位から3年後の1144年に勅撰集の院宣を下しました。鳥羽院政下、新院である崇徳院がなぜ勅選集の院宣を下すことができたのか。謎ですが、この前年、崇徳上皇は父・鳥羽上皇に同道して生涯1度きりの熊野御幸を行っています。

 崇徳を嫌っていた鳥羽上皇ですが、このころから崇徳との和解を目指していたのでしょうか。崇徳院を同道させた熊野御幸の前年に鳥羽院は出家し、法皇となっています。仏道を志す者として、我が子との間にいつまでもわだかまりをもっていてはいけない、と考えていたのかもしれません。
 鳥羽院は崇徳院との和解を求めて、熊野御幸に崇徳院を同道させ、勅撰集を崇徳院の院宣のもとに作ることを許可したのかもしれません。勝手な想像で、実際のところ、まったくわかりませんが。(^-^;A
 ただ単に鳥羽院が和歌にあまり関心がなかったということなのかも。f(^-^; ポリポリ

 『詞花和歌集』には、崇徳院の歌は7首も採られていますが、鳥羽院の歌は1首も採られていません。このあたり、崇徳院および選者・藤原顕輔はどのような意図をもっていたのでしょうか。
 『詞花集』が完成奏覧されたのは、1151年。崇徳院が保元の乱に破れ、讃岐に流されるわずか5年前のことです。

 『詞花集』10巻415首のうち、詞書まで含めて「熊野」の語が登場する歌は2首のみ。

1.和泉式部の歌。

おなじ所なるお(を)とこのかき絶えにければよめる/和泉式部

いくかへりつらしと人をみくまのゝうらめしながら恋しかるらん

(巻第八 恋下 269)

失恋の歌。自分を振った相手とは同じ所に仕えているので、姿だけはいつも目にしているという状況。
繰り返し薄情な人だとあの人のことを見てきたのに、なぜ、恨めしいのと同時に恋しいのでしょうか。
「みくまの」に「見来」と「み熊野」を掛ける。
「うらめし」に「浦」と「恨めし」を掛ける。
「いくかえり」は「浦」の縁語。

 この歌の「み熊野」は、「うら」を導くための枕詞的な使われ方をしています。自分を振った相手の姿を目にして恨めしさと恋しさに揺れる心を詠んだ歌です。

2.法華経読経にすぐれながらも、好色ぶりで知られ、和泉式部との関係も伝わる、中古三十六歌仙のひとり、道命阿闍梨(どうみょうあじゃり。974〜1020)の歌。

熊野へ詣でける道にて、月をみてよめる/道命法師

みやこにてながめし月のもろともに旅の空にもいでにけるかな

(巻第十 雑下 387)

都で眺めた月が、私と一緒に旅の空に出たのだなあ。

 「熊野」の語が登場する歌は上の1首のみですが、熊野のなかにある地名を探してみると、「音無の滝」がありました。
 音無の滝は今ではもうどこにあったのかわからない幻の滝ですが、おそらくは
音無川にあったものと思われます。音無川は、本宮町を流れ、熊野本宮大社旧社地近くで熊野川に注ぎます(明治22年の水害で流されるまでは、本宮は熊野川・音無川・岩田川の合流する中州にありました)。熊野詣の人々は、この川を徒渉して、本宮にのぞむ最後の禊としました。

3.藤原俊忠(1073〜1123)の歌。

家に歌合し侍〈はべり〉けるよめる/中納言俊忠

恋ひわびてひとり伏せ屋によもすがら落つるなみだや 〈お〉となしの滝

(巻第七 恋上 232)

恋しいのにどうしようもなくてひとり伏して寝ている粗末な家に一晩中流れる涙こそが、音無の滝なのではないか。

 音無川は紀伊の国の歌枕で、歌によく詠まれますが、「音無し(音がない)」を懸詞とするだけの歌も多く、この歌もそのひとつ。声に出して泣くこともできない忍びの恋の歌。
 「音無」の恋、口に出すことができない恋とは、どんな恋なのでしょうか。想う相手が既婚者であったり、身分違いであったりということでしょうか。

 「音無の滝」は清少納言の『枕草子』にも記されていて、五八段に、

 滝は、音なしの滝。布留の滝は、法皇の御覧においでになったのがすばらしい。那智の滝は熊野にあると聞くのが趣がある。とどろきの滝はどんなにかしがましく、おそろしいのだろう。

 と、数ある滝のなかで「音無の滝」の名が一番最初に挙げられています。

 『詞花和歌集』にある熊野関連の歌で私が見つけられたのは以上の2首のみ。もしかしたら見落としがあるのかもしれませんので、もし他にありましたら、メールや掲示板でお知らせください。

(てつ)

2003.3.6 UP
2003.4.14 更新
2003.4.24 更新

 ◆ 参考文献

新日本古典文学大系9『金葉和歌集 詞花和歌集』岩波書店

■『詞花集』に登場する熊野の地名:
・熊野…2首
音無の滝…1首

■歌の作者:
和泉式部…1首
道命法師…1首
・藤原俊忠…1首

■勅撰和歌集とは
 天皇や上皇の命令によりまとめられた和歌集のことをいいます。
 10世紀初めに成立した最初の『古今和歌集』から15世紀前半の『新続古今和歌集』まで21集があります。順に並べると、

1. 古今和歌集
 (醍醐天皇)
2. 後撰和歌集
 (村上天皇)
3. 拾遺和歌集
 (花山院
4. 後拾遺和歌集
 (白河天皇
5. 金葉和歌集
 (白河院
6. 詞花和歌集
 (崇徳院
7. 千載和歌集
 (後白河院
8. 新古今和歌集
 (後鳥羽院
9. 新勅撰和歌集
 (後堀河天皇)
10. 続後撰和歌集
 (後嵯峨院
11. 続古今和歌集
 (後嵯峨院
12. 続拾遺和歌集
 (亀山院)
13. 新後撰和歌集
 (後宇多院)
14. 玉葉和歌集
 (伏見院)
15. 続千載和歌集
 (後宇多院)
16. 続後拾遺和歌集
 (後醍醐天皇)
17. 風雅和歌集
 (花園院)
18. 新千載和歌集
 (後光厳院)
19. 新拾遺和歌集
 (後光厳院)
20. 新後拾遺和歌集
 (後円融院)
21. 新続古今和歌集
 (後花園天皇)

となり、1〜3を三代集、1〜8を八代集、9〜21を十三代集、全部をまとめて二十一代集といいます。

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