■ 熊野の歌 |
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◆ 詞花和歌集 |
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『詞花和歌集』は、崇徳上皇の院宣により編纂された第六勅撰和歌集。選者は藤原顕輔(あきすけ。1190〜1155)。 崇徳を嫌っていた鳥羽上皇ですが、このころから崇徳との和解を目指していたのでしょうか。崇徳院を同道させた熊野御幸の前年に鳥羽院は出家し、法皇となっています。仏道を志す者として、我が子との間にいつまでもわだかまりをもっていてはいけない、と考えていたのかもしれません。 『詞花和歌集』には、崇徳院の歌は7首も採られていますが、鳥羽院の歌は1首も採られていません。このあたり、崇徳院および選者・藤原顕輔はどのような意図をもっていたのでしょうか。 『詞花集』10巻415首のうち、詞書まで含めて「熊野」の語が登場する歌は2首のみ。 1.和泉式部の歌。
(巻第八 恋下 269)
この歌の「み熊野」は、「うら」を導くための枕詞的な使われ方をしています。自分を振った相手の姿を目にして恨めしさと恋しさに揺れる心を詠んだ歌です。 2.法華経読経にすぐれながらも、好色ぶりで知られ、和泉式部との関係も伝わる、中古三十六歌仙のひとり、道命阿闍梨(どうみょうあじゃり。974〜1020)の歌。
(巻第十 雑下 387)
「熊野」の語が登場する歌は上の1首のみですが、熊野のなかにある地名を探してみると、「音無の滝」がありました。 3.藤原俊忠(1073〜1123)の歌。
(巻第七 恋上 232)
音無川は紀伊の国の歌枕で、歌によく詠まれますが、「音無し(音がない)」を懸詞とするだけの歌も多く、この歌もそのひとつ。声に出して泣くこともできない忍びの恋の歌。 「音無の滝」は清少納言の『枕草子』にも記されていて、五八段に、 滝は、音なしの滝。布留の滝は、法皇の御覧においでになったのがすばらしい。那智の滝は熊野にあると聞くのが趣がある。とどろきの滝はどんなにかしがましく、おそろしいのだろう。 と、数ある滝のなかで「音無の滝」の名が一番最初に挙げられています。 『詞花和歌集』にある熊野関連の歌で私が見つけられたのは以上の2首のみ。もしかしたら見落としがあるのかもしれませんので、もし他にありましたら、メールや掲示板でお知らせください。 (てつ) 2003.3.6 UP ◆ 参考文献
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