当地の開発領主であった藤原俊成による勧請と伝わる熊野神社
蒲郡市宮成町6-49?
御祭神
伊弉册尊 速玉之男命 事解之男命
御由緒
創建は元歴2年(1185)2月14日、秦造立(棟札)とあり、蒲郡竹谷も両庄を開発した領主藤原俊成が熊野権現を勧請創建したという。
伝えに俊成の娘菊姫、この地に住み、涼みの森と称した。
延元3年(1338)9月6日、秦造営大宮大権現、神主榎本角左エ門とある。榎本氏は熊野族の名士なり。
寛永12年(1635)11月、徳川家光朱印を下され、累代継承明治に及ぶ。
ここは、県内各地の熊野神社を調査していた際、「神奈備にようこそ」で発見し、関心を持っていました。
そして私が中世鎌倉街道を探索している中、不思議に熊野神社を見受けていることが、この参拝記に報告している
背景ですが、三河部に来て海を渡って熊野信仰が伝えられてことを知りました。
この意味から、三河湾に面した当社を参拝して、中世の海道を連想しました。
(河合さん)
No.1041
(てつによる追記)
蒲形荘・竹谷荘の開発領主であった藤原俊成は平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
『千載和歌集』の撰者として知られます。子に藤原定家、孫に藤原為家がいます。
藤原俊成は蒲形荘・竹谷荘を熊野山へ寄進。
2009.8.19 UP
2021.6.4 更新