明治末に熊野社を合祀
小田急線多摩線栗平駅より徒歩10分ほど。下車後駅の前の道路を東に向かって進む。
住宅街の一角の林の中に参道が伸び、その先に社殿が鎮座。
参道には幟が密集していた。境内には社務所があり、拝殿裏には石祠が散在。
隣は白鳥公園である。
御祭神
日本武尊(白鳥明神社の祭神)
伊弉諾尊・伊弉冉尊(熊野神社の祭神)
天照大神・木花開耶媛命・猿田彦命・宇気母智命・
宇賀魂命・大山咋命・建御名方命・菅原道真
御由緒
不詳。
当神社は創立年代は不詳。
片平村と五ヵ田村の鎮守であった。
明治四十四年一月三十一日片平村内の熊野社、山王社、天神社等六社を合併合祀。
四十五年五ヵ田村の六所明神、諏訪社を合併合祀した。
(祭神、由緒共に「神奈川県神社誌」参照)
「新編武蔵風土記稿」の片平村の項には
白鳥明神社 除地、一段三畝、村の北の方丘上にあり、社は三間に四間南向なり、社前に鳥居を立、 |
と記述されている。
現在白鳥神社に合祀されている熊野神社は「新編武蔵風土記稿」の片平村の項には
熊野社 除地、八畝許、村の巽の方によれり西向にて萬福寺村醫王寺の持
と記述されています。
巽とは東南の方角であり、片平村は能ヶ谷村と村境を接しており、現在の麻生区片平三丁目付近と思われます。小田急線柿生駅の西側、片平川の南側に鎮座していたようです。
また片平川に架けられた橋も「熊野橋」と呼ばれているそうです。
片平川の南側は丘陵になっており、住宅が立ち並んでおり、熊野神社の面影を偲ぶことはできません。
熊野堰跡石碑
熊野堰跡石碑
熊野橋
また「萬福寺村醫王寺」も現存していません。詳細は、日照院さん報告の麻生区万福寺の万福寺十二神社。
この川崎市麻生区周辺は、昔紀州より鈴木一族が移り住んだといわれ、熊野神社も点在しています。
麻生区上麻生7-38-4の熊野社(月読神社境内社)
麻生区高石1-31-1の高石神社
麻生区万福寺3丁目2-3の万福寺十二神社
また、東京都ですが、かりんさん報告の東京都町田市鶴川の熊野神社も場所は不明ですが、能ヶ谷町であれば片平三丁目と隣接しています。
(TATSUさん)
No.1381
2010.12.14 UP
2020.8.13 更新
参考文献
- 『神奈川県神社誌』
- 『新編武蔵風土記稿』