もと熊野社、大正期に改称
欠ノ上の熊野神社より徒歩約1時間ほど。
越辺川を渡りしばらく進み、県道岩殿岩井線を少し入った所に鎮座。
境内には社務所、芭蕉の句碑がある。隣の敷地にはゲートボール場。
御祭神
不詳
御由緒
不詳
大正四年、社号を熊野社から國津神神社と改めた。
越生町黒山の、本山派修験を管理した山本坊が別当であり、慶安元年に熊野社をこの地に勧請した。
山本坊は武蔵の国の中で、入間郡、秩父郡、比企郡と常陸・越後の一部を管理し、配下の寺は四八ヶ寺に及んだ大先達であった。越生の熊野神社の別当でもあった。
(埼玉県神社庁編「埼玉の神社」参照)
「新編武蔵風土記稿」の西戸村の項には
住吉社 熊野社 以上二社 修験山本坊の持
と記述されています。
(TATSUさん)
No.1133
2009.11.19 UP
2025.3.17 更新
参考文献
- 埼玉県神社庁編『埼玉の神社』
- 『新編武蔵風土記稿』