3枚の月の形にて天降りたまう
熊野本宮・大斎原に熊野の神様は3つの月の姿で降臨されたとされます。
熊野縁起最古のものとされる「熊野権現垂迹縁起」(『長寛勘文』に所収)では以下のように記されています。
壬午年本宮大湯原一位木三本乃末三枚月形仁天天降給。
(「熊野権現垂迹縁起」)
(訳)壬午(みずのえうま)の年に本宮大斎原の3本のイチイの木の梢に3枚の月の形にて天降りなさった。
熊野において、とくに熊野本宮において月は熊野の神様の顕現でした。
熊野本宮の大祭
熊野本宮大社の例大祭・本宮祭は現在4月13日から15日にかけて執り行われますが、新暦に改暦される以前も4月13日に宮渡神事が、4月15日に御田祭が執り行われました。
四月
八日 百日宮籠始
十三日 宮渡神事
十五日 御田祭大神事御膳幣祝詞
陰暦の4月13日と15日に重要な祭祀を執り行うのは月を意識してのことだと思われます。新月から13日目の満月に少しかける月と、15日目の満月が出る日。熊野の神様の存在をより強く感じるのに陰暦の13日と15日はよい日です。
熊野にて月が詠まれた和歌
熊野にて月が詠まれた歌をご紹介します。
歌人たちは月に神様の存在を感じつつ、これらの歌を詠んだのでしょう。
本宮にて月が詠まれた歌
山家月
み山木のかげよりほかにくまもなし あらしにすてしかりいほの月
(藤原定家『拾遺愚草』 2807)
(訳) 本宮の森の木の他には陰もなく、澄んだ月の光が本宮の山里を隅々まで照らし、嵐によってうち捨てられた仮小屋も見える。
熊野へまいりけるに、七越の峯の月を見て詠みける
たちのぼる月の辺りに雲消えて 光重ぬるななこしの峯
(西行『山家集』下 雑 1403)
(訳)たちのぼった月のあたりには雲も消えて、光を重ねたように月が冴えわたっている七越の峯であることよ。(七越の峯は大斎原の熊野川対岸にある聖なる山)
新宮にて月が詠まれた歌
新宮
海辺残月
わたつうみもひとつに見ゆるあまのとの あくるもわかずすめる月影
(藤原定家『拾遺愚草』 2808)
(訳)明け方、新宮の海辺で海を眺めていると空との境がなく海と空とがひとつに見える。夜が明けることもわからないほどに月の光が澄んでいる。
那智にて月が詠まれた歌
瀧間月
やはらぐるひかりそふらしたきのいとの よるとも見えずやどる月かげ
(藤原定家『拾遺愚草』 2812)
(訳)和らげる光が降らした滝の糸は月の光が宿って夜とも思えない。
月照滝
雲消ゆる那智のたかねに月たけて光をぬける滝の白糸
(西行『山家集』上 秋 382)
やはらぐる影そふなちの月影によるともみえぬ滝の白糸
(『仙洞句題五十首』「月照滝水」182 慈円)
(訳)和らげる月の光が付き添い、那智の滝の白糸が夜とも見えない。
瀧間月
吹きまよふみ山のあらし空はれて月にさえたる滝の音哉
(後鳥羽院『後鳥羽院御集』 2005)
(訳)那智山に吹き乱れていた嵐が止み、空が晴れて滝が月の光に照らされて、滝の音が冴え冴えと響き渡る。
(てつ)
2025.6.21 UP
2025.6.24 更新