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七越峰、七越の峰(ななこしのみね)

 和歌山県田辺市本宮町 本宮村:紀伊続風土記(現代語訳)

熊野本宮の川向かいにある神様の山

七越の峰

 熊野本宮大社旧社地・大斎原(おおゆのはら)の東、熊野川対岸にある七越峰(七越峯、七越の峰とも)。
 標高262m。大峰山より数えて七つめの峰(みね)にあたるといわれ、そこから七越の峰と呼ばれるようになったと伝えられています。

 「みね」は神様の山を意味します。

 「みね」という言葉は「み」と「ね」から成り、「み」は「み熊野」の「み」と同じで、神様のものであることを表す接頭語です。「ね」は山頂、山の頂上のことで、「みね」は、その山が神様のものであることを表しています。その山が神域、神様のものであるときに「みね」と呼ばれました。

 ちなみに神様のものを表わす接頭語「み」が付く地名は古代では「み熊野」と「み吉野」と「み越路〔みこしじ:越の国(越前・越中・越後の三国)〕」の3つだけが知られます。神聖な土地に「み」が冠されました。「み」にはその土地に対する畏敬や憧憬の念が込められています。

 七越峰から本宮の方に向かって張り出した丘を備崎と呼びます。備崎の尾根には大峰奥駈道が通っています。修験者はその尾根道を通って本宮から吉野に向かい、あるいは吉野から本宮にたどり着きました。備崎には備崎磐座群と呼ばれる複数の磐座祭祀の遺跡があり、また備崎経塚群と呼ばれる、平安時代から鎌倉時代にかけて営まれた、おそらくは日本最大級の経塚遺跡もあります。

 七越峰はその「みね」の名にふさわしく、神聖な山でした。

大峰奥駈道

七越峰

 紀州藩が編纂させた紀伊国の地誌 『紀伊続風土記』には七越峰は以下のように記されています(てつ訳)。

七越峯

川の向かい四村荘高山村との境の峰である。山上に備宿という所がある。修験者の行所で、玉置山からの二の宿である。備宿は役行者の千日修行の地と言い伝える。

山家集  熊野へまいりけるに ななこしの峯の月を見てよみける
 立登る月のあたりは雲晴れて 光かさぬるななこしの峯

本宮村:紀伊続風土記 現代語訳

 また『紀伊国名所図会』には以下のように記されています(てつ訳)。

七越峯

本宮村より東の方八丁にあって向山という。

山家集
  熊野へ参りけるに、ななこしの峯の月を見てよめる
 立ちのぼる月のあたりに雲きえて ひかりかさぬるななこしのみね

土地の人は俗に七かしらの峰という。嶺の上に松が一株ある。ここより吉野までを七十五靡の峰という。本山、当山の御門主が峰入の時、大峰よりここへ掛けてお出になる。その時は当所の長床坊が松明を点じて御迎えに出るとのこと。前鬼後鬼もこれまで御供する。

 七越の峰には熊野と吉野を結ぶ修験道の山駈けの道「大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)」が走っています。
 熊野から吉野まで連なる大峰山系は、役の行者が開いたとされる修験道の根本道場であり、大峰山系の南端である熊野は中世、修験道の一大中心地でした。

 平安初期までは吉野の金峯山が修験者の修行の中心地でしたが、よりよき霊地を求めた修験者が大峰の山中に分け入り、南へと南へと進み、熊野への道が開かれたものと思われます。
 温暖多雨で植生豊かな熊野の陰鬱な照葉樹林に修験者達たちはおそらく濃い霊気を感じたのでしょう。次第に修験者たちが熊野に集まるようになり、中世には熊野が修験道の一大中心地になりました。

 大峰山系を縦走することを「大峰奥駈け」といいますが、奥駈け道の道中には「七十五靡(なびき)」といわれる75ケ所の行場が設けられています。
 その靡の一番は熊野本宮の証誠殿です。
 本宮が大峰奥駈けの出発点であり、七越の峰の麓には山伏の宿坊が建ち並んでいたといいます。

 ちなみに吉野から熊野へ駆けるやり方もあり、それを逆峯(ぎゃくぶ)といい、遅れて大峰に入った真言宗の醍醐寺三宝院系(当山派)の山伏が行いました。
 熊野から吉野へ駆けるやり方は、順峯(じゅんぶ)といい、もともと熊野を支配し、大峰奥駈けを先に始めていた天台宗の園城寺・聖護院系(本山派)の山伏が行っていました。

 しかし、現在では「順峯・逆峯」という言い方とはまるで逆に、逆峯が一般的な大峰奥駈けのやり方になっています。
 近世以降、紀州藩の宗教政策によって熊野三山が神道化し、熊野修験が衰退してしまったのが原因です。近世以降は天台・真言の両派とも大峰には吉野から入るのが一般的になってしまいました。

西行の歌

 『紀伊続風土記』にも引かれた平安末期の歌僧・西行法師の歌。 (『山家集』下 雑 1403)。七越の峯の山頂にはその歌碑が建てられています。

   熊野へまいりけるに、七越の峯の月を見て詠みける

たちのぼる月の辺りに雲消えて 光重ぬるななこしの峯

(訳)たちのぼった月のあたりには雲も消えて、光を重ねたように月が冴えわたっている七越の峯であることよ

七越の峰

 この七越の峯を和泉・河内・紀伊三国の国境にある七越山のことだという説がありますが、七越の峯は熊野本宮大社旧社地の東方すぐ近くにある山なので、夜、本宮に参拝した折に詠んだ歌だと取るのが素直な読み方だと私は思っています。

 本宮では、いったん昼間、音無川を徒渉し、足下を濡らして宝前に額づいた後、夜になってあらためて参拝奉幣するのが作法でした。

眺望

 上の写真は七越の峰から本宮方面を見た眺めです。

大斎原

 七越の峰から見る本宮大社旧社地。

熊野本宮大社

 七越の峰から見る熊野本宮大社。

 七越の峰はとても眺望のよい場所です。
 熊野本宮大社や旧社地、役場や小中学校など、本宮の里が一望できます。
 また、ここに立つと、人間が暮らしている土地の面積など、わずかなのものに過ぎないのだな、と実感することができます。
 視界のほとんどが山と空。
 森林面積が町の93%を占める本宮町。
 本宮町のほとんどが森林なのだと、あらためて実感することができます。

桜の名所

 七越の峰の森林公園として整備されたエリアにはソメイヨシノやシダレザクラなど約1000本の桜が植栽されています。熊野地方に自生する野生の桜はクマノザクラヤマザクラ、カスミザクラの3種のみで、それらの野生の桜もわずかに混じっています。

七越の峰の桜

七越の峰の桜

七越の峰の桜

七越の峰の桜

七越の峰の桜

(てつ、下の3枚の写真はそま撮影)

2002.2.9 UP
2002.3.31 更新
2020.3.14 更新
2021.3.27 更新
2021.3.28 更新
2021.3.29 更新
2022.2.20 更新

参考文献

七越の峰へ

アクセス
・JR新宮駅から車で45分。

駐車場:無料駐車場あり

本宮町の観光スポット