日本最大規模の経塚群、56億7千万年後の未来のために
熊野本宮大社の旧社地大斎原の熊野川対岸、七越の峰から張り出した尾根には大峰奥駈道が通ります。その尾根の先端部を備崎といい、平安時代から鎌倉時代にかけて経塚が営まれました。
盗掘による撹乱で旧状を残している部分はほとんどありませんが、調査が進めば日本最大級の経塚遺跡となることは確実視されています。
一番上の写真の物はともかく、他の物はわかりにくいと思います。わかる人ならすぐにわかるのでしょうけれど。経塚遺跡を見つけるヒントは河原石です。山の中、尾根筋なのに、河原石があります。
解説板より。
史跡 備崎経塚群
経塚は、平安時代後期に広まった末法思想の影響から釈迦入滅の56億7千万年後といわれる弥勒仏の出現まで貴重な経典や仏像を残す目的や、極楽浄土への往生現世利益を願って書写した経典等を納めるために造営されたと考えられている。
備崎経塚群は、熊野本宮大社旧社地大斎原の熊野川を挟んだ対岸、七越峰から西に延びる尾根尖端の北斜面に所在し、経塚が広範囲に分布している宗教関連遺跡である。
平成13年度に実施された発掘調査によると、主要形態は地山を掘りくぼめて埋納スペースを造るもの、地山を深く掘り側壁に板石を並べ底部に板石を配置し函状にするもの、地山をほとんど掘らずに河原石などで天井まで積み上げてスペースを造るもの等がある。
出土遺物は経筒片(銅製・土師質製・瓦質製・陶質製・陶製)、外容器とされる龜(土師器・陶器)、壺(陶器)、土師器・杯、瓦器・皿、合子(陶器・磁器)、銅製仏像(薬師如来立像)、銅鏡、火打ち鎌など多数あり、平安時代から鎌倉時代まで経塚信仰が営まれていたことがわかる。
周辺一帯には、露呈する大きな岩塊が点在していることから、備崎経塚群は自然崇拝を根源とした古代信仰の形態をうかがい知ることができる貴重な遺跡で、山頂側にある平坦地は「宿」のひとつ「備の宿」があったと推定されている。
『南総里見八犬伝』の作者として知られる曲亭馬琴(きょくていばきん:1767~1848)が編集した『兎園小説(とえんしょうせつ)』という随筆集には「土中黄金仏出現」と題された記事があり、それには熊野本宮付近の土中から黄金の阿弥陀仏像が出土したことが記されています。 その阿弥陀仏像を納めていた青銅製の円龕と銘文の刻まれた陶製の外筒は、現在、東京国立博物館に所蔵され、国宝に指定されています。
(てつ)
2010.8.7 UP
2020.8.11 更新
参考文献
- 本宮町史編さん委員会『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』本宮町
- 備崎経塚群発掘調査委員会・和歌山県本宮町教育委員会『熊野本宮備崎ー経塚群発掘調査報告書ー』
- 日本随筆大成編輯部 編集『日本随筆大成〈第2期 第1巻〉』吉川弘文館
備崎磐座群へ
アクセス:熊野本宮大社から新宮方面へ国道168号線を進み、最初の熊野川を渡る橋「備崎橋(そなえざきばし)」を渡って対岸へ。そして山へ。
駐車場:なし