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玉置神社(たまきじんじゃ)

 和歌山県吉野郡十津川村玉置川1 

熊野なる玉置の宮の弓神楽 弦音すれば悪魔退く

玉置神社

 本宮町の北隣に位置する奈良県十津川村にある玉置山
 熊野から吉野まで連なる大峰山系の一峰で、標高1076m。この山頂近くに玉置神社は鎮座しています。

 熊野本宮大社の辺りからなら車で1時間ほどで山頂近くにある駐車場に着きます。本宮大社前から国道168号線を北上。十津川温泉を過ぎ、平谷(ひらだに)で橋を渡り、そこから山を上がっていきます(広い道ではないので、対向車にはご注意を)。

 駐車場で車を降りると下界との気温差を感じます。服1枚分、気温が低い感じです。
 木々に囲まれた参道を歩いていくと、杉の巨木に出会うことができます。4月下旬から5月上旬くらいでしたら、シャクナゲの花が咲いていて綺麗です。15分ほど歩くと境内に着きます。

玉置神社

 玉置山は、神武東征の際、八咫烏(ヤタガラス)に先導された神武天皇が兵を休め、神宝を置いて勝利を祈ったと伝えられる神体山です。
 第十代崇神天皇が紀元前37年に玉置山に行幸し、その4年後に玉置神社が造営されたとも伝えられています。

杉の巨木群

 玉置神社は杉の巨木群に囲まれて鎮座しています。あれだけ大きな杉が何本も立っているところというのは、本州では他にないのではないかと思います。玉置神社神域の杉の巨樹群は奈良県の天然記念物に指定されています。

 神社の周囲には、夫婦杉(めおとすぎ)やら神代杉(じんだいすぎ)やら磐余杉(ゆわれすぎ)やら常立杉(とこたちすぎ)やら名前を付けられた杉の巨木が何本もそびえています。

大杉
玉置神社境内でもっとも大きい大杉

夫婦杉
根元近くから二股に分かれている夫婦杉

常立杉
常立杉

 それらの巨杉群のなかでもひときわ存在感を感じさせるのが神代杉です。高さは28mとそれほど高くはありませんし、太さも目通りの幹回りが8.4mと他の杉にくらべて太いわけではないのですが、ごついです。樹齢は3000年(!)と推定されています。

神代杉
神代杉

神代杉
神代杉 (Photo by 山濱さん)

玉置神社の御祭神

本社

 国常立尊は『日本書紀』においては天地開闢とともに出現した神です。イザナミやイザナギよりも前に出現した、最初の、根源的な神さま。
 江戸時代中期、享保6年(1721年)の高之の手になる「熊野草創由来雑集抄」(『速玉大社文書』)によると、熊野本宮の主祭神・家津御子神(けつみこのかみ)は国常立命だとされています。

摂社 三柱神社

末社

 末社にはその他に、出雲霊社・神武社・水神社・大日社・三石社があります。 

修験道の拠点であった神仏習合の霊場

 大峰山系の一峰である玉置山は、大峰山系が修験道の根本道場となってからは、修験道の一拠点として栄えました。修験道の開祖とされる役の行者(えんのぎょうじゃ)もこの地で修行したと伝えられ、弘法大師 空海もこの地で修行を積んだと伝えられます。また、智証大師 円珍が那智での修行の後、858年に玉置山で修法加持し、本地仏を祀り、以降、神仏混淆になったとも伝えられています。

 大峰山系は、役の行者が開いたとされる修験道の根本道場であり、大峰山系の南端である熊野は中世、修験道の一大中心地でした。
 大峰山系を縦走することを「大峰奥駈け」といいますが、奥駈け道の道中には「七十五靡(なびき)」といわれる75ケ所の行場が設けられています。
 その靡の一番は熊野本宮の証誠殿です。本宮が大峰奥駈けの出発点であり、玉置山は十番めの靡に当たります。

大峰奥駈け道 玉置山中の大峰奥駈け道

 ちなみに吉野から熊野へ駆けるやり方もあり、それを逆峯(ぎゃくぶ)といい、遅れて大峰に入った真言宗の醍醐寺三宝院系(当山派)の山伏が行いました。逆峯では玉置山は七十番めの靡に当たります。
 熊野から吉野へ駆けるやり方は、順峯(じゅんぶ)といい、もともと熊野を支配し、大峰奥駈けを先に始めていた天台宗の園城寺・聖護院系(本山派)の山伏が行っていました。

 皇室の尊崇厚く、神武・崇神以降、幾人もの天皇や上皇など皇族の参拝が行われ、江戸の元禄年間までは造営や修復は全て国費でもってまかなわれたそうです。

 玉置山は「玉置三所権現」「玉置権現」などと呼ばれる神仏習合の霊地でしたが、明治新政府の神仏分離令に先駆け、慶応4年(1868)に廃仏毀釈を行ました。山中にあった七坊十五寺を排し、仏像仏具類は山外の寺に移し、あるいは谷に投げ捨て、あるいは焼き捨てて、「玉置三所大神」と称し、のちに「玉置神社」となりました。

御神徳は悪魔退散

 玉置神社例大祭は、毎年10月24日に執り行われます。
 男子の神子が巫女の衣装(!)を身につけて、白い弓矢を手にし、舞楽を奏する「弓神楽(ゆみかぐら)」が奉納されます。
 その歌詞は、

熊野なる玉置の宮の弓神楽 弦音(つるおと)すれば悪魔退(しりぞ)く

 悪魔退散は玉置神社のご神徳のひとつです。
 弓神楽は、白河院、後陽成院を始め皇室の御祈願にも奉納されたという歴史のある神楽だそうです。

 南方熊楠はこの弓神楽の歌について次のように記しています。

また伝うるは、夜行する者、自宅出づるに臨み、「熊野なる玉置の山の弓神楽」と歌の上半を唱うれば、途上恐ろしき物一切近づかず。さて志す方へ着したる時、「弦音きけば悪魔退く」とやらすなり、と。

(南方熊楠「小児と魔除」『南方熊楠全集』第2巻、平凡社、119頁)

 弓矢には古くから魔を退ける力があるとされて、呪法に用いられました。 弓神楽の歌は弓の弦を用いる呪法のことを歌っています。矢をつがえずに弓の弦を引き放って音を鳴らすと、その音に妖魔が驚いて退散するとされます。この呪法は「鳴弦(めいげん)」「弦打(つるうち)」などと呼ばれます。

 矢を用いる呪法もあり、玉置神社ではキツネに憑かれた者からキツネを祓うのに矢を用いました。この呪法は「蟇目(ひきめ)」と呼ばれます。射たときに高い音が響く「蟇目」という鏑矢を射て、発する鏑矢の音で妖魔を驚かせ退散させるというものです。

社務所はもと別当寺

 玉置神社は社務所がまたすばらしいです。
 かつては高室院という別当寺(神社の経営管理を行なった寺)であった建物ですが、廃仏毀釈の際の取り壊しは免れ、社務所として使われるようになりました。
 立派な襖絵(ふすまえ)がたくさんあります。拝観料300円ですが、それ以上の価値は充分あると思います。
 襖は杉の一枚板を使っていて、狩野派の狩野法橋・橘保春の筆による豪華な花鳥図が描かれています。襖の枚数は60数枚あるそうで、煤で汚れたものもありますが、どれも素晴らしい絵です。すぐ近くで絵を見ることができますので、一度はご覧になられることをお勧めいたします。
 社務所は台所とともに国の重要文化財に指定されています。

鐘楼

 社務所の傍らには鐘楼があります。 神仏習合時代の名残りで、神社となった現在でも梵鐘が吊り下げられています。

 その梵鐘は古いものではありませんが、古くからあった梵鐘は国の重要文化財に指定されていて、現在、十津川村郷土資料館に展示されていてます。佐々木高綱(ささきたかつな。?~1214)が弱年のおり、武運長久のために献納したものと伝えられています。

 佐々木高綱は、源平争乱の折、活躍した鎌倉方の武将です。元暦元年(1184)、木曽義仲追討に際しての宇治川の合戦で梶原景季(かじわらかげすえ)と先陣争いをして、名をあげました。平氏追討の功により備前(岡山県)・安芸(広島県)など7ケ国の守護となり、のちに高野山に入ります。

三狐神

三柱神社

 摂社に三柱神社という神社があります。
 三柱神社は古くは三狐神(みけつかみ)と呼ばれ、俗に稲荷社と呼ばれ、熊野地方の稲荷信仰の要の神社として古くから信仰を集めていたそうです。全国の稲荷社の基だともいわれています。

 御神徳は商売繁盛、五穀豊穣、大漁海上安全、悪魔退散。とくに狐憑きに陥った人から狐の霊を除霊することにかけては霊験あらたかであったようです。昔は人に狐が憑くことがしばしばあり、本宮町辺りからも狐を落としてもらいに玉置山まで参ったといいます。

 もともと「みけつかみ」は、食物を司る神であったようです。「御饌津神」と書き、「御(=尊称)饌(=食物)津(=の)神」で食物の神を意味します。
 しかし、キツネのことを古語で「けつ」というため、「みけつかみ」が「三狐神」のように誤解され、その神は人々の意識のなかで、キツネの神に変容したものと思われます。
 「御饌津神」はまたの名を稲荷神といい、「御饌津神」が「三狐神」になったために稲荷神は狐を使いとするようになったとの説があります。

 三狐神は「狐の神」。「狐の神」というからには、おそらく辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)という「狐の王」になんらかのつながりがあるように思います。
 辰狐王、菩薩となった白毛の狐の王。またの名を茶吉尼天(だきにてん)。
 茶枳尼天は、元はインドの、裸体のまま天空を自由に飛翔し、人間の肝を食らい、生き血をすする恐るべき女神でした。それが日本では白毛の狐の王と一体になります。
 また、平安時代以降の神仏習合により、狐を使いとする穀物神・稲荷神の本地(本体)は茶枳尼天だとされます。

 『玉置山権現縁起』によると、三狐神は「天狐・地狐・人狐」で熊野新宮の飛鳥(阿須賀)を本拠とし、その本地は極秘の口伝だということです。
 縁起には、玉置山に祀られていたとおぼしき「天狐王」像の姿が書き記されているそうです。その姿は、正面は観音、右は天狐面、左は地狐面の三面六臂。さらに足も六本あり、しかもそれは鳥足であるという異様なものでした。そして、この本尊の本地は(本地は極秘の口伝とする一方で)聖天、または茶吉尼天であると記されています。
 三狐神信仰は、御饌津神・稲荷神・辰狐王菩薩・茶枳尼天などの神仏と複雑に絡み合ってできているようです。

神使

 玉置神社の神使はオオカミでした。

大和吉野郡十津川の玉置山は海抜三千二百尺という。予も昨秋末詣りしが、紀州桐畑より上るは、すこぶる険にして水なく、はなはだしき難所なり。頂上近くに大いなる社あり。

その神狼を使い者とし、以前は狐に付かれしもの、いかに難症なりとも、この神に祈り蟇目を行なうに退治せずということなく、また狐人を魅(ばか)し、猪鹿田圃を損ずるとき、この社について神使を借るに、あるいは封のまま、あるいは正体のまま渡しくれる。

正体のままの場合には、使いの者の帰路、これに先だち神使狼の足跡を印し続くるを見、その人家に達する前、家領の諸獣ことごとく逃げおわるという。

(南方熊楠「小児と魔除」『南方熊楠全集』第2巻 、平凡社、118-119頁)

 キツネに化かされたとき、あるいはシカやイノシシに田畑を荒らされたとき、近隣の人々は玉置神社にお参りしてオオカミの助けを借りました。

 熊野ではオオカミより強い動物はいないので、熊野の人々はオオカミを獣の王とし、また山の神とも呼び、神使にもしました。日本の自然生態系においてニホンオオカミは食物連鎖の頂点に位置する頂点捕食者であり、日本の生態系に大きな影響を与えるかけがえのない肉食動物でした。

 田畑を荒らすシカやイノシシを捕食するオオカミは農耕を主とした日本人にとっては益獣でしたが、明治以降、オオカミは害獣とみなされ、駆除されて絶滅に追いやられました。日本からオオカミが絶滅したのはいつ頃なのかはっきりとはわかりませんが、明治時代末という説が有力です。

 オオカミがいなくなると、玉置神社でもオオカミの助けを借りることができなくなり、オオカミを神使とすることもなくなったようです。

 オオカミの絶滅は生態系にとってたいへん破壊的な悲しむべきことですが、オオカミにまつわる信仰や文化が失われてしまったのも悲しいことです。

玉石社、玉置神社のそもそもの始まり

玉石社

 三柱神社の隣の出雲大社教の社殿が建ち、その前を通ると、山頂に向かう道があります。
 杉に囲まれたその山道を登っていくと、途中に周囲を垣で囲まれた三本の杉の木があります。
 それが玉石社です。杉の木の根元には白い玉砂利が敷きつめられ、そのなかにわずかばかり地表に顔を出した丸い石があります。この石がご神体で、この石は地中にどれだけ埋もれているのかわからないほど大きいといわれています。

 この石がじつは玉置神社のそもそもの始まりなのだともいわれています。
 神武東征の折、玉置山で兵を休めた神武天皇は、この石の上に神宝を置いて勝利を祈ったと伝えられています。この丸石が置かれているということから、「玉置」の地名が起こったとの説があります。

 「玉置」の地名の語源には他にふたつの説があって、ひとつは、熊野早玉の神をこの山に祀り置いたからとする説。もうひとつは、役小角および空海がこの山に如意宝珠(それを手にした者の願いを意のままに叶えるという玉)を埋めて安置したからとする説。

 玉石社のすぐ近くにはやはり周囲を垣に囲まれた所があり、それが三石社で、垣のなかには三つの石が並んでいます。

山頂からは熊野灘が

 さらに山道を登っていくと、ブナなどが生える天然林に変わり、じきに山頂に到着します(境内から山頂までは徒歩10分ほど)。

 玉置山は「沖見岳」の異名を持ち、山頂からは、天気のよい日であれば、南方、熊野の山々の向こうに海が見えます。
 海からも当然、玉置山の姿は見え、熊野灘の漁師は玉置山を目印のひとつとして船を操り、漁をするそうです。そのため、玉置神社は海から遠く離れた場所にあるにも関わらず漁師たちの崇敬を受けています。

 山頂からは神社を経由せずに直接、駐車場へ降りる道がありますので、その道を降りてもいいです。天然林のなかの気持ちのよい道。15分ほどで駐車場に着きます。

白山社

 神社を経由するなら車祓所から駐車場に向かう道を行き、途中にある玉置神社末社の白山社へ。
 乳岩と呼ばれる磐座を祀っています。御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)。この磐座の岩を削り取って煎じて飲むと母乳の出がよくなるとのこと。

(てつ)

2002.5.18 UP
2002.7.3 更新
2009.9.8 更新
2009.11.12 更新
2022.4.24 更新
2024.4.1 更新

参考文献

玉置神社へ

アクセス:JR新宮駅・近鉄大和八木駅・JR五条駅よりバス、十津川温泉バス停下車、タクシーで約30分、駐車場より徒歩約15分
駐車場:無料駐車場あり

十津川村の観光スポット