地域の住民たちが守った田の中の神の森
田中神社。その名の通り、水田の少ない熊野では珍しい、田の中にある神社。
熊野参詣道(熊野古道)中辺路(なかへち)の三栖王子(みすおうじ)から岩田川に抜ける岡道(おかみち)沿い、八上王子(現八上神社)と稲葉根王子(いなばねおうじ)の中程辺りに、田中神社はあります。
国道311号線から岡川(おかがわ)に沿って遡る県道沿いに、周囲を田に囲まれてぽつんとある8アールほどの小さな森。それが田中神社です。
江戸時代の紀伊国の地誌『紀伊続風土記』に田中神社は次のように記されています(現代語訳てつ)。
田中明神社
境内森周二百五十間
宮代という所にある。祀神は弁財天という。一村の産土神とする。拝殿がある。
この神社は昔、田中神社から6kmほど上流にある岡川八幡神社の上手の倉山という山から大水のときに森全体が流れ着いたのだと伝えられています。
森全体ではなく、御神体か社殿が流れ着いたのだろうという解釈もできるでしょうが、森全体が流されたとしたら、ものすごい大洪水です。
南方熊楠の『南方二書』には田中神社について以下のように書かれています。
この辺に柳田国男氏が本邦風景の特風といえる田中神社あり、勝景絶佳なり。
(口語訳はこちら)
そのような田中神社も、大正4年(1915)に八上神社に合祀されてしまいます。
しかし、熊楠の「合祀されても神林だけは残しておけ」との助言に従い、氏子住民たちは神社林を伐採せずに守りました。戦後、その価値が認められ、昭和31年に田中神社の森は県の天然記念物の第一号として指定されました。
南方熊楠の命名のオカフジ
2022年4月20日撮影
この神社の森は全体を藤で覆われており、この藤は「オカフジ」と呼ばれてます。オカフジは当地での呼び方で、標準和名は牧野富太郎によって命名されたヤマフジ。
過日御将来の紫藤は、小生自ら色々取調べたるところ、間違いもなくキフジ、オカフジと本草図譜巻二十九に出おるものに候。丁度大字岡に産する故オカフジという名が宜しき様に思うも、牧野博士はこれにヤマフジと名を付けあり、小生は既に古くよりキフジ、又オカフジなる名称があるに、昨今ヤマフジと命名するは、如何と存じ候。(こればかりがどこの山にも生ずるに非ず、他所は知らず、紀州には山に生ずるフジは多くは例の穂が長きものなればなり) この事一度牧野博士へ問い合わすべきも、とにかく小生はオカフジという古い名がよいと存じ候。
(樫山嘉一宛南方熊楠書簡、昭和六年十月十八日付『改訂 南方熊楠書簡集』紀南文化財研究会)
牧野富太郎はヤマフジと命名したが、江戸時代後期に刊行された日本最初の植物図鑑である『本草図譜』にはオカフジとあり、自生地の地名も岡なのでオカフジがよかろう、と。そのような熊楠の言葉により当地ではこの藤をオカフジと呼んでいます。 田中神社のオカフジが花を咲かせるのは5月上旬ころ。
2022年4月20日撮影
オカフジの特徴は普通の藤よりも花序(枝についた花の集団)が短いこと。ひとつひとつの花について見ると花弁がやや大きく、色は淡く、翼弁の色は反対に濃いこと。
2022年4月20日撮影
2009年4月27日撮影
2000年前の古代ハス
6月下旬~8月上旬ころなら、神社の森の裏手にあるハス田で、大賀ハス(おおがはす)の花を見ることができます。
大賀ハスは、昭和26年に千葉市検見川の地下6mにあった2000年前の縄文遺跡から、東京大学農学部教授であった大賀一郎博士がハスの種を発見し、発芽生育開花に成功させたものです。
2003年7月10日撮影
2002年7月19日撮影
2013年7月29日撮影
神の森
熊野には神の森といって森そのものを神社とする社殿のない神社がありました。たとえば神島は神島明神森と呼ばれ、森そのものが神社でした。
古代の日本人が神様と出会う場所というのは建物のなかではなく、森のなかにぽっかりと空いた、木々に囲まれた空間であったろうと想像されます。おそらくは森の中にぽっかりと空いた空間が神社の始まりでした。
田中神社には小さな社殿がありますが、本来神社というのは森だったのだということを田中神社の小さな森は気づかせてくれます。
(てつ)
2003.7.11 UP
2009.4.27 更新
2009.10.27 更新
2013.7.29 更新
2015.2.1 更新
2015.4.6 更新
2021.2.26 更新
2022.4.22 更新
参考文献
- くまの文庫2『熊野中辺路 伝説(下)』熊野中辺路刊行会
- 南方熊楠 著、中沢新一 編『南方熊楠コレクション 森の思想』河出文庫
- 紀州語り部の旅 上富田町
田中神社へ
アクセス:JR紀伊田辺駅からバス、紀伊岩田バス停下車、徒歩約10分
駐車場:無料駐車場あり