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『熊野年鑑』現代語訳 鳥羽

鳥羽天皇

現代語訳

天仁元年 戊子(つちのえね) 1108年

熊野霊光庵(新宮の本願所であった修験寺院)が参内し、牛王を奉った。8月に空中で鼓のような音が数日絶え間なくした。八幡太郎義家が逝去した。

天仁2年 己丑(つちのとうし) 1109年

7月、熊野御幸に別当が供奉した。神倉妙心寺へ京より永信尼が移った。

白河上皇の1回目の熊野御幸は、堀河天皇の御世、1090年。白河上皇、37歳の時。2回目の熊野御幸はそれから26年後の1116年。その後、17年、18年、19年、20年と毎年、熊野を詣で、少し間を置いて25年、27年、そして、亡くなる前年の28年と、合わせて9回の熊野御幸。

天永元年 庚寅(かのえとら) 1110年

熊野清鶴に移った。

天永3年 壬辰(みずのえたつ) 1112年

12月に熊野御幸御年籠。熊野御幸の御年籠はこれが始まりであった。

※年籠は、大晦日の夜に社寺に籠って新年を迎えること。

永久2年 甲午(きのえうま) 1114年

熊野三山御幸御年籠。熊野三山御幸の御年籠はこれが始まりであった。

永久4年 丙申(ひのえさる) 1116年

10月、熊野御幸に祐真が供奉。阿弥陀堂を御建立。

永久5年 丁酉(ひのととり) 1117年

本宮に御願塔、新宮に一切経堂再立、那智に金泥大般若を御寄進の詔があった。

元永元年 戊戌(つちのえいぬ) 1118年

熊野三山御幸に妙心寺の永信尼が供奉した。

元永2年 己亥(つちのとい) 1119年

熊野三山御幸。

保安元年 庚子(かのえね) 1120年

8月に熊野御幸、本宮の温泉に入った。

保安2年 辛丑(かのとうし) 1121年

熊野三山を修営、木を寄せた。

保安3年 壬寅(みずのえとら) 1122年

5月に熊野は長範を別当にした。

※長範は第16代熊野別当。

原文

天仁 戊子

熊野霊光参内奉牛王八月空中有声如鼓数日不断八幡太郎義家逝去

二 己丑

七月熊野御幸別当供奉神倉妙心寺ヘ京ヨリ永信尼移ル

天永 庚寅

熊野清鶴ニ移ル

三 壬辰

十二月熊野御幸御年籠是始也

永久 二

熊野三山御幸御年籠是始也

四 丙申

十月熊野御幸祐真供奉阿弥陀堂御建立

五 丁酉

詔本宮御願塔新宮一切経堂再立那智金泥大般若御寄進

元永 戊戌

熊野三山御幸妙心寺ノ永信尼供奉

二 己亥

熊野三山御幸

保安 庚子

八日熊野御幸本宮温泉有

二 辛丑

熊野三山修営木寄

三 壬寅

五月熊野長範為別当

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(てつ)

2023.4.7 UP

参考文献