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『熊野年鑑』現代語訳 近衛

近衛天皇

現代語訳

康治元年 壬戌(みずのえいぬ) 1142年

熊野山牛王巻数を奉った。

康治2年 癸亥(みずのとい) 1143年

2月に熊野三山に御幸し、法華御供養をした。覚□が亡くなった。
10月に兼長を熊野別当に為した。

※この年、鳥羽上皇は10回目の熊野御幸。このとき鳥羽上皇は本宮の神前にて金字で一切の経律論を書写せんと誓った。この前年に鳥羽上皇は出家。法皇となって最初の熊野御幸に、鳥羽は崇徳天皇を同道させた。これが崇徳上皇の最初で最後の熊野御幸となった。

※兼長は長兼の誤記か。長兼は第17代熊野別当。

久安元年 乙丑(きのとうし) 1145年

9月に熊野に御幸。7月に大彗星が出て、天変が甚だ多かった。

久安2年 丙寅(ひのえとら) 1146年

3月に熊野に御幸。同月に湛快を別当に為した。

※湛快は第18代熊野別当。

久安3年 丁卯(ひのとう) 1147年

正月に熊野に御幸。

久安4年 戊辰(つちのえたつ) 1148年

9月に熊野に御幸。

久安6年 庚午(かのえうま) 1149年

4月に熊野三山に御幸。

仁平元年 辛未(かのとひつじ) 1151年

8月に熊野三山に御幸。大風雨で宮殿が破れ、南門が崩れた。

仁平2年 壬申(みずのえさる) 1152年

7月に熊野三山に御幸。

仁平3年 癸酉(みずのととり) 1153年

正月に熊野三山に御幸。

※鳥羽上皇の最後の熊野御幸。このとき、10年前の10回目の熊野御幸で金字で書写すると誓った一切の経律論書、大乗経2395巻・小乗経617巻・大乗律59巻・小乗律446巻・大乗論515巻・小乗論696巻、合わせて4728巻を本宮の神前に捧げた。

原文

康治 壬戌

奉熊野山牛王巻数

二 癸亥

二月クマノ三山御幸法華御供養覚□寂
十月兼長為熊野別当

久安 乙丑

九月クマノ御幸七月大彗星出天変甚多

二 丙寅

三月クマノ御幸同月湛快為別当

三 丁卯

正月クマノ御幸

四 戊辰

九月クマノ御幸

六 庚午

四月クマノ三山御幸

仁平  辛未

八月クマノ三山御幸大風雨宮殿破南門崩

二 壬申

七月熊野三山御幸

三 癸酉

正月クマノ三山御幸

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(てつ)

2023.4.7 UP

参考文献