松尾芭蕉の高弟・服部嵐雪の熊野詣
嵐雪(小栗寛令筆)
松尾芭蕉の門弟、服部嵐雪(はっとり らんせつ。1654~1707)と朝叟による伊勢・熊野に参詣した折の紀行文『その浜ゆふ(其浜木綿)』。
服部嵐雪は宝井其角(たからいきかく。1661~1707)とならんで蕉門の双璧をなす蕉門十哲(芭蕉の弟子のなかでとくにすぐれた高弟10人のこと)のひとり。 嵐雪は朝叟・百里・甫盛・全阿らを伴なって宝永二年(1705)夏に伊勢・熊野に参詣しました。
嵐雪一行は、伊勢参詣の後、新宮へ。新宮から那智を詣でて本宮へ。そのあとは田辺に出て大阪へ向かいました。その一部を抜き出して現代語訳してご紹介します。文中、雪中とあるのが嵐雪です。
その浜ゆふ 現代語訳
本宮。神楽殿は25年間4面で(?)毎年4月25日に猿楽がある。太夫は吉野の天の川(てんのかわ。現・奈良県吉野郡天川村)より来て、これをつとめる。舞台は落書に黒ずんで格別に素晴らしい。白河法皇がお建てになった石の塔がある。
和泉式部の石塔が伏拝にある。本宮より一里(約4km)。かの式部が「月のさはり」と詠んだ所だという。
蚋(ぶと)のさすその跡ながらなつかしき 雪中
是迄に暇とらせむ汗ぬぐひ 百里
発心門は伏拝より一里。ここまで上古は本宮の境内であった。
苅ほしを今も敷なり御幸道 甫盛
湯の峰は温泉が三坪ある。湯川より野中へ出る。
野中の清水。佐藤秀衡が接ぎ木した古木の桜がある。
住かねて道まで出るか山清水 雪中
猿楽
『その浜ゆふ』には、毎年4月25日に熊野本宮では吉野の天川から演者がやってきて猿楽が行われると書かれています。猿楽は能楽の前身。神社の運営資金を集めるための勧進興行でしょう。
天川にある天河弁財天社は猿楽(能楽)に縁が深い神社で、また「吉野熊野中宮」とも称されていました。
服部嵐雪の句碑
野中の清水の傍らには、嵐雪の「住かねて道まで出るか山清水」の句碑が建っています。野中の清水は日本百銘水のひとつ。
(てつ)
2005.9.18 UP
2019.10.12 更新
参考文献
- 『本宮町史 文化財篇・古代中世史料篇』