月の障りも何か苦しき
熊野古道中辺路を歩き、熊野本宮大社まであと1時間ほどというところまで来た伏拝(ふしおがみ)という場所に伏拝王子(ふしおがみおうじ。王子とは熊野権現の御子神。熊野権現の分身のこと)があります。
伏拝王子にまつわる伝説として、平安中期の女流歌人、和泉式部(いずみしきぶ。977頃~没年不明。中古三十六歌仙の一人)が登場する次のようなお話があります。
和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、にわかに月の障りとなった。これでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。
晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき
すると、その夜、和泉式部の夢に熊野権現が現われて歌を返した。
もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき
そこで和泉式部はそのまま参詣することができたという。
歌の功徳によって神仏からご利益を受ける歌徳説話の一種です。
女性の生理
南方熊楠は女性の生理と和泉式部の物語について以下のように述べています。
例せば、吾輩幼時なお熊野辺で待屋(たいや)という小廬を家ごとに別に構え、月事ある婦女は一週間その中に孤居した。その状を目睹(もくと:実際に見ること)した吾輩は今に忘れ能わぬほど当時経行中の婦女は実際きわめて穢らわしいものだった。したがって、かかる婦女が酒や味噌を眺めたばかりでたちまち腐らせるの、名刀もかの輩に近づかばその利を失うのと言い伝えたは、十分その理ありと吾輩には解り易いが、今日婦女の衛生処理大いに進み、月事小屋などどの地にも見るを得べからざる世となっては、古人が月水を大いに怖れた意味は到底分からず。したがって米国などには月水を至って清浄神聖なものとする輩すらある由。そんな人に和泉式部が伏拝みの詠などを聴かせても全然事実らしく思わず、言実(じつごん:真実の言葉)に過ぎたりとか、ほんの歌詠上の誇張とか評すること必せり。
(「酒泉等の話」『南方熊楠全集』第5巻、平凡社)
中央とは異なる価値観
昔、日本では女性の生理が不浄なものだとされましたが、この和泉式部と熊野権現の歌のやり取りは、熊野はそんなことは気にしないのだということを示しています。
『延喜式』という平安時代中期に編纂された法令集では、死や出産や月経などが国家的に不浄なものとされて謹慎が求められていますが、熊野はそんなことなど気にしないからどうぞ来なさい、と。
中央とは異なる価値観を熊野は有しているのだということを堂々と示しているのが、このエピソードです。
この物語を作ったのは
南北朝から室町時代にかけて熊野信仰を全国に広めたのは、一遍上人を開祖とする時衆(じしゅう)という仏教の一派の念仏聖たちでした。この和泉式部の伝説は、時衆の念仏聖たちが熊野の神は他の神様とはちょっと違うのだということをアピールするために作った物語のひとつなのだと思われます。
何が違うのかというと、熊野の神は、ハンセン病の患者であろうと、生理中の女性であろうと、およそ「浄不浄をきらはず」、受け入れるということです。
いまの女性にとっては納得いかないことかもしれませんが、かつては女性の生理は不浄なものでした。生理中の女性でも受け入れる。そのことを宣伝するために和泉式部をかつぎだして、時衆の念仏聖たちがこのようなお話を作り出したのでしょう。
熊野本宮の神様は阿弥陀如来であり、その慈悲は無差別にあらゆる人々に注がれるものでした。
(てつ)
2014.10.26更新
2024.8.27 更新
参考文献
- きのくに民話叢書1『熊野・本宮の民話』和歌山県民話の会
- 『南方熊楠全集』5巻、平凡社