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藤原頼資『修明門院熊野御幸記』(現代語訳7)

藤原頼資の修明門院熊野御幸随行日記(現代語訳7)

 承元4年(1210年)の修明門院の熊野御幸に随行した藤原頼資(ふじわらのよりすけ)の記録『修明門院熊野御幸記』を現代語訳してしてご紹介します。このページは5月12日の分。

  1. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳1
  2. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳2
  3. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳3
  4. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳4
  5. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳5
  6. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳6
  7. 藤原頼資『修明門院熊野御幸記』現代語訳7

 漢文は不得手なので、間違っている箇所が多々あると思います。お気づきの点などございましたら、メールフォームはこちら

修明門院熊野御幸記

5月12日

十二日、己亥(つちのとい、きがい)、天気晴れ。
権弁が先陣して稲荷に参る。御奉幣事のための指示や供えとのこと。
予は御所に参る。人々は遅れて参り、催しに加わる。

日の出以後数刻の後、出御がある。信能朝臣・予は先駆け。巳の一点(※午前9時頃)に稲荷社に御着きになる〔御迎えの人々が済々と(※多くて盛んなさま)会に集まる〕。
鳥居の内において御禊がある。
権弁が幣を持って立ち、少将・予は御あがない物を役送する(※取り次ぐ)。
次に宝前に御参り。御奉幣。神主が祝詞を奏上する。賽祓のとき杉の葉を進める。御先達がこれを進める。
主典代が禄をお与えになる。次に御経供養がある。
この間、予は逐電する。私的な奉幣。護法送りの後、杉の葉を腰につけて帰ってくる。すぐに御布施を引かされる。

御導師 被物1色、宰相中将がこれを取る。裏物、信能朝臣がこれを取る。
題名僧(だいみょうそう:経供養のときなどに経文の題目を読み上げる僧) 裏物〔予がこれを取る〕。
次に命婦の御前に御参り。御奉幣以後に鳥居内の小社の前に御参り。護法送りのためである。御奉幣の後、入御。御車を御所に寄せる〔几帳(きちょう:間仕切り)を出し、御屏風を設け、命婦の西廊の後ろ西面の妻戸為其所〕。
次に源大納言が直衣(のうし:公卿の平常服)で進み出て、御車を寄せる。公卿・殿上人、束帯・直衣・布衣各有之、
道の御供の人々はここより逐電。窮屈の間、早くもって退出。詳しく見及ばない。

   今度の御供の人数
 修明門院御幸人数
御先達〔大僧正〕 御導師〔大納言僧都 隆円〕
女房六人〔民部卿殿 大納言殿 丹後殿 宮内卿殿 大輔殿 出雲殿 以上常御所女房〕
雑仕一人 小雑仕一人 女官一人 刀自(※雑役を勤めた女官※)一人
公卿〔民部卿 源宰相中将〕
殿上人〔一条少将 信能 権弁 宗行 藤少納言 頼|〕
上北面〔木工権頭清実 大隈守康業 左馬権頭忠綱 左近大夫信経 蔵人康定〕
下北面〔隼人正成重 壱岐左衛門尉久政 主馬○(首脱か)左衛門尉秀能
西面〔源二兵衛尉湛 新藤兵衛尉景家 糟屋三郎有久〕
医師〔侍医基成〕 陰陽師〔陰陽権助晴光〕
主典代1人 庁官4人 庁守1人
召使8人 召次15人〔御壺召次1人、交召次4人・国召次10人、〕
□取1人 御力者18人 次御輿御力者36人
(進物所)番衆6人 大炊2人 □原1人
進物所召次1人 釜殿6人 里神楽6人
 院号以後初度の御幸を為すにより、今度用いられ晴儀、前宮内少輔越茂奉行、
夜に入って御所番を為すため、宿に参る。

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(てつ)

2010.10.31 UP
2020.9.1 更新

参考文献