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伏拝王子(ふしおがみおうじ)

 和歌山県田辺市本宮町伏拝 伏拝村:紀伊続風土記(現代語訳)

熊野本宮の森を伏し拝む

伏拝王子石段 

 熊野古道中辺路(なかへち)」、水呑王子祓戸王子の間に位置する伏拝王子(ふしおがみおうじ)。

 熊野古道中辺路を歩き、熊野本宮大社まであと1時間ほどというところまで来た伏拝(ふしおがみ)という場所に伏拝王子があり、ここから本宮方面に展望が開きます。

 ここは中辺路を歩いてきた参詣者が初めて熊野本宮の森(旧社地)を遠望できた場所で、ここから本宮の森を伏し拝んだといわれます。

 院政期の記録に伏拝王子の名はなく、正中3年(1326年)の仁和寺蔵の『熊野縁起』や文明5年(1473年)の『九十九王子記』などにもなく、享保15年(1730年)の『九十九王子記』にようやく登場します。

伏拝王子

 伏拝王子には石祠と和泉式部供養塔と伝わる卒塔婆があります。もともとはそれぞれに別の場所にあったものですが、昭和48年(1973年)に現在地に移され、並べられて置かれました。

伏拝王子石祠
伏拝王子石祠

和泉式部供養塔
和泉式部供養塔

和泉式部の伝説

 伏拝王子には、平安中期の女流歌人、和泉式部(いずみしきぶ。977頃~没年不明)が関わる以下のようなお話が伝わります。

 和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、にわかに月の障りとなった。これでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。

  晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき

 すると、その夜、式部の夢に熊野権現が現われて、

 もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき

 そう返歌したので、和泉式部はそのまま参詣することができたという。

 昔、日本では女性の生理が不浄なものだとされましたが、この和泉式部と熊野権現の歌のやり取りは、熊野はそんなことは気にしないのだということを示しています。

 『延喜式』という平安時代中期に編纂された法令集では、死や出産や月経などが国家的に不浄なものとされて謹慎が求められていますが、熊野はそんなことなど気にしないからどうぞ来なさい、と。

 中央とは異なる価値観を熊野は有しているのだということを堂々と示しているのが、このエピソードです。

 南北朝から室町時代にかけて、熊野信仰を全国に広めていったのは、神道でも修験道でもなく、一遍上人を開祖とする時衆(じしゅう)という仏教の一派の念仏聖たちでした。

 この和泉式部の伝説は、時衆の念仏聖たちが熊野の神は他の神様とはちょっと違うのだということをアピールするために作った物語のひとつなのだと思われます。

 生理中の女性でも受け入れる。そのことを宣伝するために和泉式部をかつぎだして、時衆の念仏聖たちがこのようなお話を作り出したのでしょう。

伏拝王子石祠
伏拝王子から熊野本宮方向を望む

和泉式部供養塔

 伏拝王子に置かれた和泉式部供養塔は、卒塔婆の上に法篋印塔の塔身と蓋を積み上げたもので、延応元年(1239年)の銘があります。

 和泉式部供養塔について『紀伊続風土記』には以下のように記されています(てつ訳)。

和泉式部供養塔

村の中の街道の傍らにある。昔、和泉式部が熊野詣に月事の穢れをはばかって奉幣せず、ここで遥拝し、空しく帰ろうとしたが、その夜、霊夢があって参詣することができた。ゆえに後年、供養のために石塔を1基を建てたと伝え言う。碑面には文字なし。

『続千載集』に、

 もろともに塵にまじはる神なれば 月のさはりぞ何かくるしき

左註にこれは和泉式部が熊野へ詣でたが、障りで奉幣がかなわなかったときに、

 腫れやらぬ 身の浮雲の棚引きて 月のさわりとなるぞかなしき

と詠んで寝た夜の夢に熊野権現がお告げになられたとか。

伏拝村:紀伊続風土記 現代語訳

 また『紀伊国名所図会』には以下のように記されています(てつ訳)。

宝塔一基

村はづれ田圃の内、道の左にあり。

むかし和泉式部が熊野へ詣でたとき供養のためこの塔を建てたと相伝える。

風雅集』神祗
 本よりもちりにまじはるかみなればつきの障りもなにかくるしき

これは和泉式部が熊野へ詣でたところ、障りにて奉幣が叶わなかったので、「はれやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」と詠んで寝た夜の夢に熊野の神がお告げになられたとか。

伏拝村の名はこれに基づくとの俗説があるとのこと、『ますほのすすき』に見える。

本居宣長翁の『玉勝間』には以下のようにある。
これはとても道の意に叶わず、仏の意である。中昔より総じて世の習いとして、この和泉式部なども法師の言うことのみを常に聞き慣れて仏意(ほとけごころ)の心に染まっていたからそのような夢を見たのであろう。神がどうしてこのような御心であろうか。塵に交わるなどいうことも漢書の『老子』というのに和光同塵といったことのあるのを取って言い出した戯れ言で、少しも神の上にないことである。(下略)

    和泉式部墓
 虻のさす其あとながらなつかしき  嵐雪
 いたづらに花の曇りやふしおがみ  燕志

この辺はミヤマツツジが多く、ことにその色は他所よりとりわけ見事である。本宮まで左右は並木の松原で石段がある。これは元和の頃、新宮の城主水野侯の手によって道筋を改められ、それより絶えず修理するため掃除が行き届いて美麗である。半里ばかり行くと茶店がある。三軒茶屋という。ここに高野山への道がある。ここから本宮へ近い。少しして鳥居がある。

(『紀伊国名所図会』)

 民俗学者の柳田國男はこの供養塔を訪れ、以下のように記している。

熊野本宮路の伏拝の石塔なども、路傍ではあり苔深く古びていたから、ほとんど信じない者の通行を許さぬくらいであったが、式部が月の障りの歌を詠み権現が塵にまじわるの御返歌をなされたということが、始めて記録せられたのは元応三年の『続千載集』である。

(「桃太郎の誕生・和泉式部の足袋・雨乞小町など」『柳田國男全集』第10巻、ちくま文庫)

 伏拝王子から次の祓戸王子までは約1時間。

◁水呑王子 祓戸王子▷

熊野九十九王子

(てつ)

2008.11.2 UP
2013.12.2 更新
2022.2.22 更新
2024.8.27 更新

参考文献

伏拝王子へ

アクセス
・JR新宮駅からバスで95分、徒歩20分。
住民バス(1日1便)伏拝王子経由の発心門王子行き、伏拝王子バス停下車。
住民バスは「熊野本宮大社」や「道の駅奥熊野古道ほんぐう」の前で乗ることができます(住民バス時刻表)。年末年始の期間中は運休。

駐車場:伏拝王子付近には駐車スペースあり

伏拝王子を通る熊野古道レポート
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