熊野本宮の巫女が主役の能
熊野本宮大社旧社地西の国道168号沿いにある鳥居の傍にはこのような案内板が立てられています。
「巻絹(まきぎぬ)」は熊野本宮の巫女がシテ(主役)の能です。
熊野では巫女のことをイタと呼びましたが、熊野の神はイタを通して託宣を下しました。
この「巻絹」でも、シテの巫女は神憑かりして神の言葉を伝えます。
登場人物は、シテ(主役)が熊野本宮の巫女。
ツレ(シテの助演者)が都からの使者。
ワキ(脇役)が勅使。アイ(狂言方が演じる役)が勅使の従者。
作者は不詳。
それでは、謡曲(能の台本)「巻絹」を現代語訳します。
1.勅使の登場
勅使 |
そもそも私は今上天皇(きんじょうてんのう。今現在、皇位についている天皇)に仕え奉る臣下である。さても、我が主君が霊験あらたかな夢をご覧になり、千疋の巻絹を三熊野にお納め申し上げよとの宣旨をお出しになったので、国々より巻絹を集めております。 都より来るはずの巻絹が遅れています。来ましたら、神前に収めようと存じております。 やあ、誰かいるか。 |
下人 | 御前におります。 |
勅使 | 都より巻絹を持って来たならば、こちらへ申し上げるように。 |
下人 | 畏まりました。 |
巻絹とは絹を巻いたもの。国々からの巻絹はすでに届いていますが、都からの巻絹がまだ届いていません。熊野本宮で待つ勅使は気を揉みます。
2.都からの使者、都を出発
都の男 |
今から旅を始めよう。今から旅を始めよう。紀の路にいざ急ごう。 紀の路沿いの風習は都と変わらないといっても、旅は心が落ち着くものではない。殊更にこれは勅命であり、荷が重い。重い荷を肩に掛けて南の国へ。聞くだけでも遠い千里の浜辺を行き、苔の生えた険しい山道を行き、いつ山を越えられるのだろうか。旅の道中、心を休める間もないことだ。 私のような者とても陛下の恵みにまさか漏れることはあるまい。 紀の国の関を越えて遥々と、紀の国の関を越えて遥々と、山また山を分け入っていくというのはこのことか。今回初めて三熊野の御山にやってきた。思っていたよりも早く御山に着いた。 |
熊野参詣道「紀路、中辺路ルート」を歩き、熊野本宮に到着した都からの使者。思っていたより早く着いたと使者は言っていますが、すでに期日に遅れています。
3.都からの使者、熊野に到着
都の男 | 急ぎましたので、三熊野に着きました。まずは音無の天神へお参りしようと思います。 おや。冬梅の匂いがほのかにします。どこにあるのでしょうか。ああ、ここにある梅です。この梅を見てなんとなく歌が1首思い浮かびました。南無天満天神。心中の願いを叶えてくださいませと、 |
地謡(じうたい。バックコーラス) | 祈りの言葉を込めた歌を心の中で神に手向けながら、急いで熊野本宮へ参って、まず勅命にお仕え申し上げよう。 |
都からの使者は本宮の境内末社「音無天神社」にお参りし、和歌を1首作り、口に出さずに胸中で神に捧げます。
音無天神社の祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。明治22年(1889年)の大水害のため流出し、現在は社殿はありません。
4.都からの使者、捕縛される
都の男 | やあ、案内をお願いいたします。 |
下人 | 案内とは、どなたでいらっしゃるのですか。 |
都の男 | 都より巻絹を持って参りました。 |
下人 |
その由を申し上げる間、しばらくそこでお待ちください。 申し上げます。都より巻絹を持って参りました。 |
勅使 | こちらへ通しなさい。 |
下人 |
畏まりました。 最前の人、いますか。その由を申し上げましたところ、かくかくしかじかでお通りくださいとのことでございます。 |
都の男 | 都より巻絹を持って参りました。 |
勅使 | どうして遅くなったのか。遅れぬために日数を定めておいたのに、勅命をおろそかにしたのはお前ひとりだ。 |
地謡 | その身の罪状は免れまいと、 |
勅使 | おい、誰かいるか。 |
下人 | 御前におります。 |
勅使 | 急ぎ、この者を捕らえなさい。 |
下人 | 畏まりました。 |
地謡 | その身の罪状は免れまいと、すぐさま、縛られ、荒々しく苦しめられて、身をもって罪の報いを思い知らされたのである。罪の報いを思い知らされたのである。 |
都からの使者は期日遅れの咎で捕縛されてしまいます。
5.巫女の登場
巫女 | のうのう。その下人をどうしてお縛りになるのですか。その者は昨日、音無の天神で1首の歌を詠み、私に手向けした者であるので。歌を納受すると、私の心は三熱の苦しみから少し楽になったというのに。それなのに。 心ないことだ。その縄を解きなさい。解きなさい。手櫛で乱れ髪を解くように。 |
地謡 | 解きなさい。手櫛で乱れ髪を解くように。神が手向けられた歌を受けないということがあろうか。引き起こして縄を解こうと、その結び目を見ると、強く、岩代の松の。何とか結びし。情けないことだ。 |
巫女がいきなり神憑かり状態での登場です。音無の天神が依り憑いています。
音無の天神は歌を手向けてくれた男を救おうとします。
6.上の句
勅使 | これはさて、何と申したことですか。 |
巫女 | この者は音無の天神にて1首の歌を詠み、我に手向けた者であるので、早く縄を解きたまえ。 |
勅使 | これは不思議なことを承ったものですね。これほど賤しい者が歌などを詠めるとは思いも寄らない。おそらく疑わしい神慮かと存じます。 |
巫女 | なお神慮を偽りだと言うのか。それならばかの者が昨日我に手向けた和歌の上の句を彼に問いたまえ。我が下の句を続けよう。 |
勅使 | この上はとやかく申すには及ばない。おい、お前、本当に歌を詠んだのならば、その上の句を申してみろ。 |
都の男 |
今は遠慮申し上げるときではない。あの音無の山陰にまったく美しい冬梅が格別色鮮やかであったのが何となく心に染みてこのように詠みました。 音無にかつ咲きそむる梅乃花 (音無の里で音もなくこのように咲き始めた梅の花) |
都からの使者が手向けた歌の上の句を詠みあげると、音無の天神は下の句を続けます。
7.下の句
巫女 | 匂はざりせば誰か知るべき (匂わなかったならば誰が知ることができようか) と、この者が詠んだのは疑いもないことであるのに。 |
地謡 |
もとより神は「正直捨方便(しょうじきしゃほうべん。方便を捨ててまっすぐに法を説く)」の誓いを立てている。曇ることのない神慮は真直ぐであるのだから、このように歌を納受したので、今はもうお疑いならずに歌人をお許しください。 あるいは口にせずに心中に隠していた歌を知ることができたのも神の通力であると知ることができたであろう。無駄な疑念を解かし、この縄をすぐに解き、お許しください。 |
さて、この「巻絹」のモチーフのひとつとなったと思われるお話がひとつありますので、ここでご紹介しておきます。『沙石集』という説話集(1283年成立、無住法師作)に採られたお話です。
後嵯峨法皇(1242~1272。2度の熊野御幸を行った)が御熊野詣したとき、伊勢国の人夫で、本宮の音無川という所で、梅の花が盛りであるのを見て、歌を詠んだ者があった。
音無に咲きはじめけむ梅の花 匂はざりせばいかでか知らまし
(音無の里で音もなく咲き始めた梅の花、匂わなかったならばどうして知ることができようか)
男の歌は、まことに秀歌である。この歌が御下向のときに法皇のお耳に自然に入って、北面の下郎に仰せつけられた。北面の者は馬であちこち廻って、「本宮で歌を詠んだ男はどれか」と問うと、「これが、その男です」と、傍の人が申し上げたので、北面の者はその男に「仰せである。参上せよ」と言った、そのご返事に、
花ならばをりてぞ人の問ふべきに なりさがりたるみこそつらけれ
(花ならば手折って人は鑑賞するであろうが、実になって顧みられないのはつらいなあ。身分の高い者であれば馬を降りて人は問うだろうが、身分の低い身はつらいなあ)
さて、返事には及ばず、恥じるべきところを恥じもせずに馬より降りて、男を連れて参上した。法皇は事の子細をお聞きになって、お感じになることがあって、「どんな事でも望みを申せ」と仰せくださる。「言う甲斐なき身でございますので、どのような望みを申し上げることができましょうか」と申し上げたけれども、「何か身分に見合う望みはないだろうか」と仰せくださったので、「母を養うほどの御恩を望みます」と申し上げたところ、百姓であるので、「彼の所帯は公事(賦役)を一切免除する。永代、この約束を違えぬように」との御下文をお与えになったのは、格別の報賞であった。百姓の子であったけれども、寺で歌の道を学んだのだと、人は申したという。
身分の低い者が本宮音無川のほとりで梅の花を見てすばらしい歌を詠み、それにより報賞を得たというお話。
8.音無の天神、和歌の功徳について語りはじめる
地謡 | そもそも神は人が敬うことによって威を増すものであり、人があるのは神の加護に依っている。 |
巫女 | それゆえ楽しむ世に逢う事。これはまた陀羅尼の義に依っている。 |
地謡 | 言葉を少なくして理を含み、三難は聞こえなくなり、寂念閑静の床の上に眠り、遥かに遠ざかる。 |
うまく訳せないのですが、音無の天神が「言葉を少なくして理を含」む和歌の功徳を語っています。
和歌は陀羅尼(だらに)であるとの説があります。
陀羅尼とは、梵語の呪文を翻訳せずにそのまま読み唱えるものです(短いものを真言、長いものを陀羅尼といいます)。陀羅尼には一字一字に無限の意味があり、これを唱えれば、仏から功徳を得ることができるとされます。
和歌陀羅尼説は、本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想から生まれました。
本地垂迹思想とは、神の本地(本体)は仏であるという考え方です。
6世紀に伝来された仏教は日本国内に普及していく過程のなかで、次第に神道との融和をはかるようになり、また、神道の側でも仏教との融和をはかるようになりました。
そうした流れのなかで、神の本体は仏であるという考え方が生まれました。仏や菩薩が人々を救うために仮に神の姿をとって現われたのだという考え方です。もとの仏や菩薩を本地といい、仮に神となって現われることを垂迹といいます。
仏に陀羅尼を唱えれば仏の功徳を得ることができるるように、神には和歌を唱えれば、神の功徳を得ることができるのだという考え方が和歌陀羅尼説です。
人々は熊野権現にも和歌を捧げ、その功徳を受けようとしたようで、和泉式部や覚讃(かくさん)などの話が伝えられています。
9.音無の天神、和歌の功徳を語る
地謡 | これによって本来備わっている霊光がたちまちに放たれ、人の心にある月は次第に雲が晴れていく。一首を詠ずると、様々な悪念から遠ざかり、天は清く地は安定する。前々から唯有一実相唯一金剛と説かれているではないか。 |
巫女 | それゆえ天竺の、 |
地謡 |
婆羅門僧正が行基菩薩の御手を取り、 霊山の釈迦の御もとに契りて真如朽ちせず逢ひ見つ (霊山(りょうぜん。釈迦が説法した場所)のお釈迦さまのもとで誓った再会の約束が破られることなく、また逢えたことだ) と歌を詠まれたところ、行基菩薩は御返歌に、 伽毘羅衛に契りし事のかひありて文殊の御顔を拜むなり (釈迦が生まれた国カビラエで約束した甲斐があって、文殊菩薩のお顔を拝んでいるのだなあ) と詠まれ、互いに仏であるとみなに知られたのも和歌の徳ではないだろうか。 また、神については「出雲八重垣」や「片そぎの寒き世」の例をいわずとも伝え聞いているはずである。 |
行基菩薩と婆羅門僧正(インドから来日した僧・菩提僊那(ぼだいせんな)のこと。東大寺の大仏の開眼供養の導師を務めた)の話ですが、この話は『今昔物語集』(巻第十一 第七)などに収められた話を元にしているのでしょうが、ここではなぜか歌の作者が入れ違っています。
行基菩薩は文殊菩薩の化身とされたので、「霊山の~」を婆羅門僧正が詠み、「伽毘羅衛に~」を行基菩薩が詠んだことにしては話がおかしなことになるのですが。
二人はともに前世では釈迦のもとで修行しており、行基菩薩は文殊菩薩の化身であるということがこの歌のやり取りで明らかにされました。
「出雲八重垣」は、スサノオノミコトの「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を(古事記)」。「片そぎの寒き世」は、住吉明神の「夜や寒き衣や薄き片そぎの行きあひの間より霜や置くらん(新古今集)」。
日本の神は歌を詠みます。そこから和歌は陀羅尼であるという考え方が素直に出てきたのでしょう。もちろん熊野権現も歌を詠んでいます。
10.巫女、物狂いとなる
勅使 | それでは祝詞を奏上し、神様をお上げ申し上げてください。 |
巫女 | 謹んで奏上し再拜いたします。 そもそも当山(熊野のこと)は法性国の東南にあり、金剛山の霊光がこの地に飛んで霊地となったのである。今の大峰がこれである。 |
地謡 | それゆえ御嶽(みたけ。金峰山のこと)は金剛界の曼荼羅であり、 |
巫女 | 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の蓮華蔵世界である。熊野は胎蔵界であり、 |
地謡 |
大日如来の密厳浄土である。ありがたいことだ。 不思議なことだ。祝詞を奏上している巫女が物狂いとなった。不思議なことだ。祝詞を奏上している巫女が物狂いとなり、いかにもあらたかな神憑かった動きを始め、神の言葉を語っている。その様は恐ろしいほどだ。 |
依り憑いていた神を巫女から離すつもりが、巫女は神の言葉を語り、狂乱状態になって神楽を舞います。
11.数々の熊野の神々が巫女に降りる
巫女 | 證誠殿(しょうじょうでん。熊野本宮の第三殿。本宮の本社)は阿弥陀如来。 |
地謡 | 十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・邪見の十種類の悪行)を犯した者を導き、 |
巫女 | 五逆(殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血の五つの大罪)を犯した者さえ憐む |
地謡 | 中の御前(熊野本宮の第二殿)は、 |
巫女 | 薬師如来。 |
地謡 | 薬となって、 |
巫女 | 過去世と現世の二世を救済する。 |
地謡 | 一万宮(一万宮・十万宮セットで熊野本宮の第九殿。一万とは一万眷属のこと)は文殊菩薩。 |
巫女 | 過去世・現世・来世の三世にわたる覚母(衆生を眠りから覚まし、正覚を与える母の如き存在)である。 |
地謡 | 十万宮(一万宮とともに熊野本宮の第九殿。十万とは十万金剛童子のこと)は普賢菩薩。 |
巫女 | 全山に満ちている護法の神仏、 |
地謡 | 数々の神々がこの巫女に降り、御幣も乱れて、空に飛ぶ鳥のように飛翔し、また地に降りて踊り、数珠を揉み、袖を振り、足を上げ下げし、あらゆる舞の手を尽くし、「これまでである。神はお上りになった」と言ひ捨てた。その声の途中から物狂いから覚めて、巫女は普段の状態に戻った。 |
熊野の神々が次々に依り憑きます。 證誠殿、中の御前、一万宮、十万宮。
ここで語られる證誠殿(熊野本宮第三殿)についての原文は以下の通りの短い言葉ですが、この短い言葉で、すごいことを言っています。
證誠殿は。阿弥陀如来。十悪を導き。五逆をあはれむ。
證誠殿に祀られるのは熊野本宮の主神・家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)。その本地(本体)は阿弥陀如来です。
家都美御子大神は生き物を殺した者、他人の物を盗んだ者、よこしまな男女関係をもった者、嘘をついた者、中身の無い言葉を話した者、乱暴な言葉を使った者、他人の仲を裂く言葉を言った者、非常に欲が深い者、激しい怒りをいだいた者、誤った見解をもった者を導き、また父親を殺した者、母親を殺した者、悟りを得た聖者を殺した者、僧団の分裂させた者、仏の身を傷つけ出血させた者さえも憐む、と。
阿弥陀如来がまだ修行中で法蔵菩薩とよばれていたときに立てた本願(「本願」とは、如来という結果になるための原因である菩薩のときに立てた誓願のこと。「以前の誓願」「もとの誓願」という意味をこめて、「本願」と訳されました)のことが記されています。
『無量寿経』によると、法蔵菩薩は衆生を救うために四十八の本願を立てました。
その四十八の本願のうちの第十八番目の本願が「念仏往生の願」で、これは「阿弥陀仏を信じ念仏を唱えるすべての人々が救われ、極楽往生できないのならば、自分は仏にはならない」という誓いです。
そして、いま法蔵菩薩は仏と成り、阿弥陀如来となっています。ということは、菩薩の四十八の誓願はすべて果たされ、人々はすでに救われているのだということになります。
しかし、この「念仏往生の願」にはこれらの者は阿弥陀仏の救済から除外する。
なかに他の菩薩の本願にはない「念仏往生の願」というものがありました。
念仏往生の願
設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法
四十八願のうちの十八願。
私が仏となる以上、(誰であれ)あらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるならば、(その間、)私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪を犯す者と、仏法を謗る者は除くこととする。(第十八念仏往生の願)[4]わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国[5]に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。
これがあらゆる者を受け入れた聖地・熊野の本宮の主祭神です。
トランス状態で舞う巫女。 やがて舞い果てると、神々は去り、巫女はトランス状態から覚め、普段の自分を取り戻すのでした。
2004.8.28 UP
2004.9.1 更新
2004.9.3 更新
2019.11.20 更新
2023.1.22 更新
2023.1.23 更新
(てつ)
参考文献
- 本宮町史編さん委員会『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』本宮町
- 本宮町史編さん委員会『本宮町史 通史編』本宮町
- 中瀬喜陽『説話世界の熊野―弁慶の土壌』日本エディタースクール出版部
- 巻絹 『謡曲三百五十番』No.090 - み熊野ねっと分館