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◆ 浄瑠璃「傾城反魂香」


 宝永5年(1708)、大阪竹本座で初演の近松門左衛門の浄瑠璃「けいせい反魂香(はんごんこう)」。
 この年は、室町幕府の御用絵師、狩野四郎二郎元信(かののしろうじろうもとのぶ。1559没)の百五十年忌に当たり、それを当て込んで、狩野四郎二郎元信を主人公とする上中下3巻の時代物が作られました。
 この浄瑠璃は、若き絵師、元信と傾城(けいせい。遊女)遠山、後の遣手(やりて。遊女の世話役)「みや」との恋愛を中心に語られ、とくに元信とみやとが二人で熊野詣をする場面は幻想的で素晴らしいです。
 それでは「けいせい反魂香」の粗筋を(熊野詣の場面は現代語訳して)ご紹介します。

   上之巻

 近江国の大名、六角頼賢は名木の松の絵を集めている。
 そのことを聞いた若き絵師、狩野元信は、今では跡形もない武隈の松(たけくまのまつ。名高い名木で数々の歌に詠まれた)の絵を描いて誉れを得ようと思う。
 元信は「武隈の松を見るには、越前国気比(福井県敦賀市の海岸)の浜辺に行くべし」との霊夢を見て、弟子の雅楽の介(うたのすけ)を連れてそこへ向かう。
 気比の浜に着き、そこで里人に「名高い松はないか」と尋ねたところ、敦賀の色里の「松」のもとに案内される。「松」とは色里では遊女の最上位、太夫のことをいうのであった。

 本物の松の木を求めていたのに遊女の「松」のもとに連れてこられた元信。その遊女の「松」の名は遠山。遠山はじつは土佐将監光信(とさのしょうげんみつのぶ。1434〜1525。土佐三筆に数えられる大家)の娘であった。父の光信が天皇の勘気を受けて浪人となったため、娘は色里に売られて遊女の身となったのだ。
 土佐家の秘伝に武隈の松の絵があった。
 遠山は「狩野という絵師が来るので、武隈の松を伝授せよ。父の出世の種となるだろう」との霊夢を見ていた。
 遠山は、門外不出の秘伝ではあるが、武隈の松を元信に伝授する。

 元信は武隈の松の絵を描き、礼に父娘ともに引き受けることを約束し、近江の国に帰った。元信は武隈の松の絵を土産に、家老名古屋山三に取り持たれて大名に仕えるお抱え絵師となった。

 大名の妾腹の姫君、銀杏の前は元信を気に入り、元信は銀杏の前と結ばれる。
 しかし、それを妬む重臣、不破道犬(ふはのどうけん)とその嫡子、伴左衛門(ばんざえもん)、と以前からのお抱え絵師の長谷部雲谷(はせべのうんこく)は、大名や家老山三が参勤で留守の間に、元信と銀杏の前にいいがかりをつけ、二人を捕らえる。弟子の雅楽の介は斬られ、深手を負う。

 縛り付けられた元信は自分の右肩を食い破って口に血を含み、ふすま戸に血を吹きかけて口で虎を描いた。描いた虎は形を現わし、元信の縛めを噛み切り、元信を背に乗せ、逃走する。
 虎は、山科に閑居する土佐将監光信の庵近くの薮に逃げ込む。光信は絵から現われ出た虎だと気づく。絵を描いたのは元信に違いないとも思う。

 光信の弟子、修理の介はその虎を筆を使って消して、光信に認められ、「土佐」の名乗りを許される。
 もう一人の弟子、浮世又平も「土佐」の名乗りを得ようと、手水鉢に絵を描く。それが厚さ1尺もある裏にまで筆の勢いが達し、表裏一度に描いたかのよう。光信に認められ、又平も「土佐」の名乗りを許された。

 深手を負いながらも雅楽の介は光信の庵にたどり着き、光信に助けを求める。銀杏の前を取り返してくれと雅楽の介は頼む。
 又平とその妻は、旅人や宿を調べて回り、銀杏の前を見つけ出し、自分たちの小さなあばら屋にかくまった。しかし、不破伴左衛門・長谷部雲谷ら追っ手に見つかり、家に押し入られる。

 しかし、その小さな家のなかに人が大勢満ち満ち、猿・猪・鷲・熊・鷹までがひしめき、追っ手たちと格闘。家の中は大混乱となった。又平たちを救ったそれらのものたちは絵から現われ出たものたちであった。混乱のなか、又兵は銀杏の前を背負い、妻ともども逃走した。

   中之巻

 京六条の色里で死骸が見つけられた。その死骸は不破伴左衛門であった。
 不破伴左衛門は、舞鶴屋の葛城という遊女をめぐって、もと近江国家老で今は浪人の名古屋山三と争っていた。
 そのことで検使に葛城の遣手が呼び出されるが、葛城の遣手が恐ろしがり、その代役にしっかり者のみやという遣手が選ばれ、検使の取り調べを受ける。このみや、敦賀の色里の「松」、遠山であった。売り渡されて京六条まで来たのであった。みやは取り調べを知らぬ存ぜぬで通す。

 名古屋山三は舞鶴屋に来る。舞鶴屋の亭主の伝三は、山三に、不破伴左衛門殺害の犯人として疑われていること、みやの弁舌で無事に事を運んだことを伝える。
 山三はみやに礼をいい、そして、不破伴左衛門を討ち捨てたのは自分だと語る。
 「葛城のことでの恨みはわずかなことで、不破伴左衛門は、私が参勤の供で留守をしていた間に、私が取り持って仕えさせた絵師の狩野元信を無実の罪で捕らえようとし、元信は行方不明。元信と祝言するはずだった妾腹の姫君、銀杏の前にも狼藉を働き、また私も讒言によって浪人の身となった。
 私のために元信は辛い目に遭っている。伴左衛門が生きていれば元信に仇をなす。だから、私は元信のために伴左衛門を討ったのだ。討ったことが知られれば切腹するだけだ。元信のために命を捨てよう」

 みやは、祝言の話は気になったが、自分が思い込んだ元信のために命を捨てようとする山三に感謝する。
 亭主は、山三がずっと以前に葛城を請け出してすでに夫婦となっていたことにしようと提案する。そうすれば、伴左衛門が間男したことになり、妻を姦通された夫が間男を斬るのは何の問題もない。
 ということで、そうすることになった。

 みやは元信に会いたいと涙を流す。そこへ元信が弟子の雅楽の介らを連れてやってくる。泣きながら抱き合う二人。4年ぶりに出会った二人だが、元信は名古屋山三に会いたいと言う。元信は、恩ある名古屋山三が不破伴左衛門を殺害したとの噂を聞き、いてもたってもいられなくなってやってきたのだ。
 みやは、元信と姫君を夫婦にせねば侍がすたると山三が言っていたのを聞いていたので、元信を山三に会わせたくない。「会うのなら、私の他には妻を持たないと誓文を立ててからにしてくれ」とみやは頼む。
 しかし、元信は山三の言葉には背くわけにはいかないと言う。

 元信は山三と会う。みやは二人の話をふすま越しに盗み聞く。
 山三から婚礼の話が出る。元信はその話を了承した。
 みやは嘆き悲しみながらも「息災で姫君と夫婦になってください」と言い、元信と二人、泣き合う。

 山三のはからいで北野神社に間借りして元信と銀杏の前との婚礼が行われることとなった。
 輿に乗って婚礼の場に向かう銀杏の前に若い女が襲いかかり、銀杏の前を輿から引きづり出す。銀杏の前は慌てず相手の話を聞く。
 その女はみやで、みやは「夫婦の約束をしていた元信を7日間だけ譲ってください」と嘆願する。
 みやの話を気の毒に思った銀杏の前は元信を貸すことにした。

 山三には事情を話し、表向きは銀杏の前ということにして婚礼を行った。
 婚礼後5日目、伝三ら舞鶴屋の門弟が葬礼の衣装で元信たちのもとを訪れる。山三が応対するが、伝三はみやの死を告げる。
 山三は「馬鹿にするな。7日前に病死したというが、5日前から夫婦となってこの奥にいる」と答えるが、伝三は「みやは、元信と夫婦となる約束をしていて、夫婦となったら二人で熊野参りをしようと願いを込めて笠のひもを手ずからくくった。この笠をかぶって元信に熊野参りをしてもらいたい、との遺言を残して死んだ」と言う。

 山三はみやの様子を確かめさせる。
 みやは機嫌よくにこにこしている。しかし、魚肉を口にせず、シキミの香を絶えず焚いている。煙が絶えたらここにいることはできないと言う。元信はみやの頼みで寝間のふすまに熊野山の絵を描いている。
 行灯を灯して障子に映るみやの影は五輪塔であった。元信は疲れきっているようだ。
 雅楽の介が伝三から渡された笠をみやに渡すと、

 ここからしばらく全文現代語訳。

 「嬉しい、嬉しい。ほんにこれが欲しかった。私が熊野を信じること。敦賀では遠山、三国(今の福井県坂井郡三国町)での名は勝山、伏見へ売られては浅香山。山という字を3度つけた。そのため木辻(奈良)では三つ山と付けられた。
 思うと熊野の三つの山の名を汚した。牛玉(社寺のお札)のとがめも恐ろしく、元信様と一緒にしてくだされば、連れ立ってお礼に詣でましょうと笠のひもまでくくっておいた。

 おっつけ別れる身ではあるけれども、1日でもこのように添うたからには願いは叶ったも同然。神仏に嘘はないと、このふすま戸にお山の絵図を頼みました。
 参った心で拝もうと思ったところに、この笠はどうした便りで来たことか、他のことは言わなかったですか。
 伝三どのへのお返事に『いかなることがあるとも元信さまへ嘆きのかかることなどお知らせ申してくださいますな』とよく言い届けてくださいませ」
 死んだ後まで夫をいたわる心が不憫である。

 「さあ、夫婦連れで熊野へ参りましょう。あなたさまはお勝手へ行って、後夜の鐘(ごやのかね。午前4時頃の鐘)が鳴るまで念仏を切らさないでくださいませ」
 泣く泣く元の座敷へ人々は戻り、それぞれが宗旨宗旨の題目・真言・念仏を唱えた。

   (三熊野かげろふ姿)

 夜が更けるのも惜しい。名残惜しい夜。夫婦のなかに咲く花も一夜の夢の眺めとは知らない男がいたわしい。泣くより他ない。
 昔は朝の身仕舞に香を髪にたいたり裾にとめて、そよと吹く風に香の色めいた香りがただよったが、今の焼香に立つ煙は反魂香(死んだ者の魂を呼び戻す香)としてくゆるのか。年の順からいえば私があなたの灰寄せ(死人の骨灰を集め拾うこと)をするのだろうが、逆になって、遊女の身の習いで、どこで死に誰に死に水を取られるのかわからない浅ましさ。つくろって言う私の言葉を世にない人の言葉とはそもそも知らない。いまいましいことだ。

 末長く夫婦で暮らそうとの覚悟はたわいなかった。私もあなたも若く、千代をことほぐ祝言の盃をかわした。ざざんざ、浜松の音。七本松(北野神社の東南、立本寺の北方にあった)の七本を、女は卒塔婆の数を連想するけれど、男は七五三(婚礼して3日目・5日目・7日に祝いをした)を連想して今日婚礼5日目の祝いを喜んで、以前嫁入りのまねごとをした戯れも、今は本当のことと嬉しげに手を引き合って笑い顔。私が朝顔のしぼんでいく花の上にある露とは知らない儚さよ。

 月は欠けても満ちる三つの山熊野三山。この世からの便りは片便。あの世からの返信は届かず、ことづても伝えられず、心は晴れない。
 熊野路。照手の姫のやつれた姿。常陸小萩(照手姫が美濃国青墓の旅宿で水仕女をしていたときの名前)も小栗判官のこと)のために旅籠屋の流し台の箸を洗い、箸に目鼻を付けたように痩せ衰えた餓鬼阿弥を夫とはまったく知らなかったが、夫婦の縁は切れず、きたない土車(土を運ぶための台車。それに餓鬼阿弥を乗せて運んだ)を、心は実際には狂っていないけれど、姿を狂っているように見せて、引けや、引けや。この車。えいさら。さらさら笹の葉の四手(玉串やしめに垂らす木綿や紙)。死出の旅路の後世の友。一引き引けば千僧供養、二引き引けば万僧供養。

 万能の薬の湯本湯の峰温泉のこと)と聞くからには、四百四病は消えもしよう。骨になっても治らないのは、私があなたさまを恋する病。心変わりを心配しては神の御名さえぞっとする飛鳥の社阿須賀神社。古今集 十八「世の中は何か常なるあすか川きのふの淵ぞ今日は瀬になる」飛鳥川の淵と瀬の変わりやすいところから男心の変わりやすいこと連想する)浜の宮王子。王子は九十九所。百歳になっても思い煩うことがない身であれば若々しかろうに、和歌浦。梢にかかる藤、藤代。岩代峠、潮見坂。

 描き写した絵は残っても私は残らぬ身と聞くと、いとしい我が夫が涙にくれて、筆捨て松(藤代山の名木)がしずくに濡れるように、涙に袖が濡れるだろう。「満つ潮玉葉集「熊野新宮にて読み侍りける 中原師光朝臣 天さがる神や願をみつ汐の湊に近きちぎのかたそぎ」から新宮を起こす)」の新宮の宮居神々しく、出島三輪崎のことか)に寄せる磯の波。岸打つ浪は普陀落や那智は千手観世音那智山青岸渡寺ご詠歌「捕陀落や岸打つ波は三熊野の那智のお山にひびく滝つ瀬」による)

 いにしえ花山法皇が死に別れた后を恋い慕って、天皇の御身を捨て高野西国熊野へ三度(諺「伊勢へ七度熊野へ三度」より)。 極楽往生の願いをかけて発心門をくぐり発心し仏門に入る人は、神が納受するのだろう。本宮のご本社の證誠殿の階段をおりてくだりて、法皇は亡き后を待ち受けお喜びになったとか。
 私はいかなる罪業か、十二の因縁から輪廻を離れられないので、深い疑心を捨て得ない。この罪をはかって見ると、盤石の岩さえ軽いことだ。本宮の十二社、音無川の流れ。岩田川に着いた。

 垂迹和光(すいじゃくわこう。仏が仮に神となって現われ、その光を和らげ俗塵に交じること)の方便であろうか、名所名所の宮の建物まで現われ動いて見えたので、元信は信心を深め、自分で描いた絵だとも思われず、目を塞ぎ、「南無日本第一霊験。三所権現」と伏し拝み、頭を上げて目を開くと、南無三宝、先に立った我が妻は真っ逆さまに天を踏み、両手を運んで歩み行く。
 はっと驚き、「これは浅ましい姿だ。死んだ人の熊野詣では、あるいは逆さま後ろ向きで、生きた人とは違うと、人の物語に聞く。立ち居振る舞いに宵より心にかかることがあったが、あなたは死んだのか」と涙をこぼし、尽きぬ嘆きとなってしまった。

 「恥ずかしい。心では陸路を歩いていると思っていたけれども、逆さまに見えましたか。四十九日のうちは娑婆の縁につながれて姿を見せて契ったのです。夫婦のなかにこはげ立ち(?)、愛想も尽きるならばどうしよう。変わる姿の気の引けることよ。逢い見ることもこれまでです」と泣く声ばかり、身をしぼる。
 涙で目もかすみつつ恋い慕い、その姿は霧や霞に隠れ、暗く朦朧として見えつ隠れつ、灯火の油煙にまぎれて消えてしまった。

 元信は体をかっぱと投げ、「たとえ雨露に朽ち果てた骸骨であったとしても抱きしめ、肌身を添えよう。連れ添う夫婦に何のこはげがあるだろうか。現世の逢瀬が叶わなければ刃に死してこの世を去り、極楽や天上界はおろかのことたとえ地獄の底までも誘え、一緒に連れて行け、連れ立て」と座敷の隅々、屏風を押しのけ、障子を開き、「やれ、遠山はどこだ。みやはどこに。我が妻よ」と引き戸を開けると、遣手の姿が現われ見えた。

 「いつの間にかこんな世渡りにも慣れたことか、阿波の鳴門は越えるのは苦しいにしても、この私の身の上ほどではあるまい、遣手の身はなんと辛いことか。遊女のもとに内密の愛人が忍んでくるのをとどめ、二人が文をかわすのを邪魔し、他人の恋はいましめるのに、我が身は恋を隠しながら恋いこがれ、三途八難の悪道に堕する苦しみの涙に目をくらまし、生死の悟りも得ず、妄執に迷い、場所場所で名前を変えて、数々の色を飾った報い。一つの体が五輪五行(五輪が地水火風空、五行が木火土金水。ともに万物を形成する元素)の各元素に分かれる苦を受ける。いかなる世に免れようか」と叫びわななく袂の陰に、艶色あでやかな遊女が左右に二人ずつ分かれて見えた。

 そのうちの一人は、白粉紅花に装った、後世の道に遠い遠山。かりそめの情で男を引き寄せた敦賀の「松」の体は四大元素(ここでは木火土水)のもとの「木」に帰る。
 次の一人は三国へ買い流されて姉女郎や傍輩に売り負けるまいぞと勝山と名を変え、風体も変えたけれども、恋に我を張り、我慢の山。勝山は麓の塵芥の「土」の元素に帰る。
 「その様子をご覧なさい」と言い、夕月が出たように後ろに高く現われたのは、流れ漂う川辺の竹のように伏見に来てからの浅香山。さすが所も極楽を願えと告げる撞木町(しもくちょう。伏見の色里撞木町)。極楽では闇がないので闇を照らす灯火もなく灯火を消す風も吹かないが、色里の夜見世(よみせ。遊女が夜に格子のなかにいて客を引くこと)には灯すべき灯火はなく、恋の火を吹き消す風も吹かない。前に立ってほのぼのと見えた浅香山の幻は、恋に執着して燃える心が「火」の元素に帰るまでのはかない姿である。
 木辻の町の三山と呼ばれたときの面影が今は名のみになった。奈良の木辻でこの男あの男と枕を交わしたが、身は「水」の元素となり、仮の契りも結局は迷いの種となる。「木」は執心の斧に砕かれ、「土」は逢う夜の壁と隔たり、「火」は三世(過去世・現世・来世)の縁を焼く。四大元素の四苦(生老病死)をこの身一つに重ねに重ねて空より出て空に入る。

 報いも罪も色も情も迷うも悟るも待つ夜の鐘も別れの鳥の声々新古今集 十三 小侍従「待つ宵にふけゆく鐘の声きけばあかぬ別れの鳥はものかは」による)までも、地水火風の五輪の元素がただ一筋に結びあった姿であるのだ。惜しんでもなお惜しまれる。名残も縁も尽きぬように結局行かねばならぬ道(死出の旅路)ならば、さあ一緒に連れて行こうとは思うけれど、夫には長生きしてほしいと祈る心もあり、様々な思いが浮かぶが、みな妄執のむなしい夢と悟り、さめざめと涙をこぼしながら、
 「私は極楽浄土で長く夫婦の契りを結ぶことを一人で待ちます。その証拠はこれこの五輪の塔をご覧なさい。一見卒塔婆永離三悪道(涅槃経の句。一度卒塔婆を見ればながく三悪道を離れるという意味)。南無三熊野本地の三尊(阿弥陀如来・薬師如来・千手観音)。お迎えください。お導きください」と唱える声は伏屋(ふせや。低い小さな家)に残って、姿は消えてしまった。
 元信は抱きとめようとすがりつくが影もなく、仰向けに倒れる。元信は目眩がして息切れして気を失った…

 全文現代語訳終わり。続きはまた粗筋のみで。

 元信は部屋で休む。
 夜が明けゆくころ、役所の雑色(ぞうしき。幕府の雑役に従事する者)を不破道犬と長谷部雲谷が導き、不破伴左衛門の酒漬けの死骸を担いでやってきた。
 名古屋山三が出迎える。
 「葛城はすでに親方から請け出し私の本妻となっている。借宅を見つけるまでの間、揚屋に預け置いていたところ、不破伴左衛門から数通の艶書があった。伴左衛門は不義者の間男である」
 との山三の言葉に道犬は「伴左衛門は葛城を請け出す手付金として金子五百両を懐中していた。間男討ちの件はわかったが、なぜ金子を盗んだ」と言う。

 ならばと、山三は「死骸をここに出せ」と言う。
 「伴左衛門を斬り、とどめを刺そうとしたとき、懐中に金子があるのを見つけた。このまま置いていたら盗人が来て取っていってしまう。その場合、山三が盗んだと疑われてしまうので、きゃつの肺のなかに金子を押し込んだのだ。さあ、見せよう」と、手を入れ、朱に染まった財布を引き出した。
 「これでも山三が盗人か」と財布を道犬に投げつけ、死骸を踏みつけた。
 そうした次第で道犬は子の伴左衛門もろとも獄門(さらし首)となり、雲谷は流罪となった。

   下之巻

 天皇に仕える絵師となった元信は、土佐将監光信の家を訪れて、将監夫婦に言う。
 「天皇の勘気の赦免の願いが聞き届けられ、『今後、両家は一家の結びをなし、相並んで絵所の門を開くべし』との宣旨をこうむりました。お亡くなりになったお嬢さんのためにも禁中の方にお願いしたのです」
 将監夫婦は喜び涙する。

 そこへ善悪の是非が解決し以前の知行に復した名古屋山三がやってくる。山三は将監夫婦に、姫君銀杏の前が世話になった礼として大名六角頼賢からの贈り物の品々を渡す。
 それから銀杏の前を連れてきて、「銀杏の前を将監夫婦の養女にして亡くなった娘が生き返ってきたと考えてはいかが」との申し出を将監夫婦にする。将監夫婦は喜び泣く。
 そして、元信と銀杏の前の婚礼が行われ、子々孫々まで家は繁盛した。

 これにて「けいせい反魂香」はお仕舞い。

 元信とみやの熊野詣の場面や、みやが消え現われ消える場面は、とても幻想的で美しいです。
 人は死ぬとその魂は熊野を詣でるといわれます。
 かつての熱狂的な熊野信仰は江戸時代にはすでに失われていますが、それでも人々は熊野に神秘的なイメージを抱いていたのでしょう。
 亡者の熊野詣を物語の中核に据えることで、この浄瑠璃はとても幻想的で美しい作品となっています。

(てつ)

2005.7.8 UP

◆ 参考文献

日本古典文学大系『近松浄瑠璃集 下』岩波書店

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■近松の浄瑠璃
五十年忌歌念仏
傾城反魂香

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