熊野本宮大社の奥の院とも伝わる船の神様
熊野古道「中辺路(なかへち)」、発心門王子と伏拝王子の間に位置する水呑王子(みずのみおうじ)。
廃校跡にあります。
中世には、大門王子(田辺市中辺路町高原)付近に「水飲」があったので、それと区別するために「内水飲」と呼ばれてました。
おそらくは「発心門の内の水飲」という意味だと思われます。
近世以降は「水呑」と呼ばれるようになりました。
平安時代末期の藤原宗忠の参詣記『中右記』には「次に内水呑王子に参り奉幣、新王子」とあり、鎌倉時代初期の『修明門院熊野御幸記』には「次に内水呑王子において御小養を儲け、次いで同王子に参御」とあります。
しかしながら熊野詣が廃れると、この王子も廃れ、江戸時代には廃絶し、跡地のみとなり、王子跡を後世に伝えるために1723年(享保8年)に紀州藩主徳川宗直が緑泥片岩の碑を寄進しました。後に小学校の分校が建てられ、碑は少なくとも2度は移転されています。分校は昭和48年7月に廃校になりました。
碑のある背後の山から道路付近一帯が水呑王子の旧社地であったといわれています。
次の伏拝王子までは約40分。
(てつ)
2008.11.1 UP
2020.3.28 更新
参考文献
- くまの文庫4『熊野中辺路 古道と王子社』熊野中辺路刊行会
- 本宮町史編さん委員会『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』本宮町
水呑王子へ
アクセス:龍神バス・住民バス発心門王子行き、発心門王子バス停下車。本宮方向へ徒歩30分。 熊野本宮へのアクセス
バスは「熊野本宮大社」や「道の駅奥熊野古道ほんぐう」の前で乗ることができますので、発心門王子から熊野本宮大社までの熊野古道を歩きたい方はご利用になると便利だと思います。