■ 創作童話

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★ 我が輩は鵯(ヒヨドリ)である。(その14)   (正和 作)


 我が輩は鵯である。


我が輩は鵯である。(その14)       (正和)

 

   ふけ田と四村川の小魚たち

その川の跡が現在「ふけ田」といって青鷺(アオサギ)君や翡翠(カワセミ)君の好物が住んでいる「いきものふれあいの里」として残されている。

人間達は自分達の手で自然を壊してしまって、その罪滅ぼしのつもりでか昔はたくさんいたタガメや八丁トンボなど、この国にも数少ない昆虫達を守ろうと躍起になっている。御主人なども一生懸命だが、一度壊した自然を元に戻すのは、この四村川を大昔のように鏡山の周囲を回る様にするのと同じ位、至難の業かもしれない。

そう言えば、熊野川にダムが出来るまでは新宮の町に行くにも道路も無くてこの地方は大変不便だったようで、……我が輩達には道路があっても無くても、全然関係の無いことだが……だが人間様には、そうはいかないらしい。

ダムのお陰で道路も発達して便利にはなったが、その代償として海から登ってくる鮎や鰻など魚類は激減して鮎やアメノ魚などは放流魚に頼らざるを得なくなり、この滝を群れをなして登っていた鰻の子(この里の子供達は『ジャリジャメ』と呼んでいた)も全然いなくなり、川の中の石を起こせば「鯊(ハゼ)」や「クロッコ」「蝦(エビ)」「ギュウギュウ(注、10cmから15cm位の鯰(ナマズ)に似た魚で毒針を持っていて子供達はよく刺されて泣いた)」など、たくさんいた小さな魚なども姿を消してしまったと言う。

祖父や祖母がよく話していた、鋏(ハサミ)の付いた手の甲にいっぱい毛の生えた怖い姿の「ズガニ(毛蟹ケガニ)さんもすっかり少なくなり、めったに見る事が出来ない。

我が輩達は30度を越える暑さを忘れて谷口の川原「しもおりと」まで来たが、昔、賑やかだった「つえじり」の淵にも子供達の姿は見えず、静まりかえっている。虫送りをした時、笹を流した「さぜもり淵」のほうを眺めていると途中、坂本の向かいの田圃に青々とした稲が風になびいている。

小々森の方達はここの田圃を今でも大切に作っている。我が輩達の住んでいる皆地にはなぜ田圃が残っていないのだろうか? 一寸、不思議な感じがした。

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 このお話は、私が最近知り合った本宮町に在住の正和さんという方の創作童話です。
 正和さんの許可を得て、こちらに転載させていただくこととなりました。
 今回のお話は、正和さんがお住まいの皆地(みなち)を舞台にした物語です。

 皆地には皆地生き物ふれあいの里があります。
 皆地いきものふれあいの里では、約20ヘクタールの敷地のなかに「ふけ田」と呼ばれる湿田や森林があり、約600種類もの動植物を観察することができるそうです。観察室、標本展示室を備えた「皆地いきものふれあいセンター」も併設。駐車場あり、入場無料。

和歌山県田辺市本宮町皆地の観光名所

(てつ)

2009.7.7 UP

 

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