■ 創作童話

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★ 我が輩は鵯(ヒヨドリ)である。(その2)   (正和 作)


 我が輩は鵯である。


我が輩は鵯である。(その2)       (正和)

 

今日は初めて此の家の住人のお顔を拝見した。旦那さんは七十歳過ぎか。小柄で頭のテッペンが薄い、優しそうな好々爺だ。奥様はふっくらとした綺麗なお方だ。餌箱や巣箱に雀(スズメ)君の餌を入れている。近くの畑等を見てみるが、その餌になる実を作っている様には見えない。町に出て店で買って来て入れている様子だ。

何という優しい夫婦なのだ。チュン子さんやチュン太郎君達、雀の皆がいつもニコニコしているわけが初めて合点がゆく。そう思ってみれば餌を入れている奥さんの顔が現代的な美人に見えるから不思議だ。

ところが、その翌日、いつもの様に期待に胸を膨らませて行くと、なんと、輪切りのミカンは鳥籠の中に入れられて、入り口は我が輩が入れない程狭い。これには閉口した。
なぜだろうか?」と小首をかしげながら、ご夫婦の話を聞いていると、此のミカンは我が輩達に呉れた物ではなく、ここ本宮町の町の鳥「目白(メジロ)さん」にあげたものらしい。

それを我が輩達が横取りしたわけだから家のご夫婦の心は平らかではなかっただろう。それを我が輩達を叱りもせず、それでもメジロ君の食事も考えている。なんと心の広い人間なのだと、感心しながらも、前に食べたミカンの味が忘れられず、狭い入り口を無理にこじ開けて鳥籠の中に入ってミカンを頂戴した。

ピー子さんは大変心配をして「止めなさいよ」と言って呉れたが、ご主人夫妻の優しさに甘えたのが我が輩の不覚。ピー子さんが大声で「ピーピー」と鳴くので外を見ると奥様が近付いてくる。我が輩は大慌てで外に出ようとしたが、無理に入って入り口が出口。簡単には出れない。我が輩は「悪い事は出来ないものだ。ピー子さんの言う言葉を素直に聞いていればよかったのに、今度こそ焼き鳥にされるのか」と、一瞬、北の国の景色が頭に浮かび、大勢の友人達の顔が目に浮かんだ。

ところが 奥様は鳥籠に近付いてから我が輩の慌てぶりをニコニコと笑いながら眺めているだけで手は出さない。我が輩は「有り難い。これなら助かるかもしれない」そう思うと気が落ち着いて、今まで出れなかった事がなぜなのか判って来た。それは狭い出口に羽を広げたまま出ようとしたからだと気が付き、羽を畳んで首を外に出すと肩がつかえたがどうにか外に出る事が出来た。

九死に一生を得た、とはこの事か。
心配して次郎柿の木の上から見てくれて居たピー子さんと二人でピコンと頭を下げてから祭り山に帰った。十一月半ば過ぎの出来事である。

ところが、その翌日、思いがけない出来事が持ち上がった。

まだ南天(ナンテン)の実も色付かず、山茶花(サザンカ)の蜜を飲みたいが花も開かず、食べ物の大変少ない時なので、まだ青いピラカンサの実が我が輩達だけではなく鶇(ツグミ)君やジョウビタキ君達みんなの生命の糧だったのです。皆がお腹いっぱいに食べるので、実が赤くならないうちにだんだんと無くなって行きます。

それを見てこの家の御主人は奥さんと話をしていました。
「この様子ではお正月には、実は皆無くなってしまうね。小鳥達のお正月のご馳走はどうなるのだろうか」と、心配そうでした。

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 このお話は、私が最近知り合った本宮町に在住の正和さんという方の創作童話です。
 正和さんの許可を得て、こちらに転載させていただくこととなりました。
 今回のお話は、正和さんがお住まいの皆地(みなち)を舞台にした物語です。

 皆地には皆地生き物ふれあいの里があります。
 皆地いきものふれあいの里では、約20ヘクタールの敷地のなかに「ふけ田」と呼ばれる湿田や森林があり、約600種類もの動植物を観察することができるそうです。観察室、標本展示室を備えた「皆地いきものふれあいセンター」も併設。駐車場あり、入場無料。

和歌山県田辺市本宮町皆地の観光名所

(てつ)

2009.4.24 UP

 

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