熊野をめぐる
日本の宗教の中心地であった熊野三山(本宮・新宮・那智)はもちろん、その他にも熊野には素晴らしい場所がたくさんあります。
かつての日本人の自然崇拝の有り様を今に伝える無社殿神社、神仏習合の痕跡が残る場所、南方熊楠が守った神社の森……
それらの場所には現在の日本人の心を揺さぶるものがあり、その揺さぶりは日本の未来や世界の未来をよくすることにつながっていくものだと私は確信しています。
ぜひ熊野三山だけでなく、もっともっと深く熊野に分け入ってください。
自然崇拝
熊野の土地や海や川や森が、熊野の聖地を生み出しました。
熊野の信仰は熊野の自然なしには成立しません。
岩を御神体とする神社、滝を御神体とする神社、島を御神体とする神社など。
熊野信仰の基層には自然崇拝があります。
明治末期の国の神社合祀政策で、そのような神社の多くは潰されてしまいましたが、それでもなおわずかながらも残されたものがあります。
かつての日本人の自然崇拝の有り様を今に伝える場所をぜひ訪れてください。
神仏習合
熊野信仰は、神様と仏様を一体にして祀りました。本宮の神様は阿弥陀如来ですし、速玉の神様は薬師如来、那智の神様は千手観音。熊野は神仏習合の聖地でした。
神道と仏教の共生なくして熊野が日本の宗教の中心地になることはなかったでしょう。
熊野の神様を熊野権現といいますが、権現とは「仮に現われた」ということ。仏様が仮に神様の姿で現われた。熊野の神様の本体は仏様。
異なる宗教を一体のものをするというのは、世界的にはなかなかありえないことです。お寺と神社が隣あってあるというのは、今でも日本の所々で見られる光景ですが、これも世界的に見たらあり得ないこと。キリスト教の教会とイスラム教の礼拝堂が隣あってあるというのはあり得ません。
神仏習合は明治初期に行なわれた神仏分離政策により破壊されましたが、その痕跡は今もなお残されています。
南方熊楠
明治末期の国の神社合祀政策で、神社がどんどん潰されどんどん神社の森が伐られていくという状況のなか、神社の森を守ろうと奮闘したのが南方熊楠です。
熊楠は今から百年ほど前にエコロジーという言葉を使って神社合祀に反対して神社の森を守る自然保護運動を行いました。
結果としては熊野地方を含む和歌山県と三重県ではおよそ9割方の神社が潰されたので、熊楠の自然保護運動は失敗だったかもしれませんが、そのときに熊楠が行ったこと、書き記した文章、わずかながらも守ることができた神社の森は熊野や日本にとってとても貴重な宝物です。
南方熊楠ゆかりの場所もぜひ訪れてください。
遠くて広くて深い熊野なので
どこから来ても熊野は遠く、そしてたどり着けば、そこは広く深く、熊野三山をめぐるだけのプランだとしても1日ではかなり忙しいスケジュールとなります。
せっかく遠方から熊野にお越しになるのですから、ぜひゆとりのある計画を立てて、熊野の様々な場所をめぐっていただけたらと思います。