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『熊野年鑑』現代語訳 醍醐

醍醐天皇

現代語訳

昌泰元年 戊午(つちのえうま)

6月3日天晴不知人面

延喜元年 辛酉(かのととり)

菅丞相(かんしょうじょう:菅原道真)が左遷。

3年 癸戌(みずのといぬ)

聖宝(しょうぼう:真言宗の僧)は熊野の奥で蛇を切り、池に祭った。神倉に2、3日篭った。

※聖宝は時代前期の真言宗の僧。大峯山中興の祖、当山派修験道の祖と仰がれる。

7年 丁卯(ひのとう)

熊野に行幸して本宮に正一位を与えた。

10年 庚午(かのえうま)

熊野の今神倉に神託があった。

12年 壬申(みずのえさる)

6月から7月まで飛鳥で白狐が甚だ鳴いた。

15年 乙亥(きのとい)

飛鳥の森で5月に落雷で火事。7月5日に二刻ばかり日暉形似月。民家で疱瘡が甚しかった。

16年 丙子(ひのえね)

2月に熊野は長仁を別当に任じた。

※長仁は第6代熊野別当

17年 丁卯(ひのとう)

伊勢熊野詣りが1人もなかった。

19年 己卯(つちのとう)

2月に浜の宮補陀落寺の祐真上人が奥3人を同行し渡海した。これが補陀落渡海の同行の始まりである。

20年 庚辰(かのえたつ)

4月渤海国の使いが来た。10月に徐福塚にタケノコが生えた。その大きさは周7、8寸。

21年 辛巳(かのとみ)

2月に熊野は増慶を別当に任じた。

※増慶は第7代熊野別当。

22年 壬午(みずのえうま)

8月に熊野で大地震があり、山が崩れ、波が入った。9月に霊水が湧き出て諸病を癒し、井守と号し、後に飯盛に改めた。神供に用いる。

延長 乙酉(きのととり)

6月に天皇が疱瘡に。

原文

昌泰 戊午

六月三日天晴不知人面

延喜 辛酉

菅丞相左遷

三 癸戌

聖宝熊野奥蛇ヲ切池祭神倉ニ二三日篭

七 丁卯

行幸熊野本宮正一位

十 庚午

熊野今神ノ倉有神託

十二 壬申

自六月至七月飛鳥白狐甚鳴

十五 乙亥

飛鳥森五月雷火七月五日二刻ハカリ日無暉形似月 民家疱瘡甚

十六 丙子

二月熊野長仁任別当

十七 丁卯

伊勢熊野詣一人モナシ

十九 己卯

二月浜宮補陀落寺祐真上人奥三人道行渡海是道行ノ始ナリ

二十 庚辰(かのえたつ)

四月渤海国ノ使来十月徐福塚竹子生大サ七八寸周

二十一 辛巳

二月熊野増慶任別当

二十二 壬午

八月熊野大地震山崩浪入九月霊水湧出諸病癒号井守後飯盛ニ改ム神供ニ用

延長 乙酉

六月天皇疱瘡

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(てつ)

2021.11.18 UP

参考文献