宇多天皇
現代語訳
寛平元年 己酉(つちのととり)
当今より四方拝、七種粥が始まった。
2年 庚戌(かのえいぬ)
御船島に霊亀が出現した。
5年 癸巳(みずのとみ)
天皇の命令で聖宝(しょうぼう:真言宗の僧)は熊野三山を詣で、金峰山に向かった。このとき62歳。染殿后(そめどののきさき:文徳天皇の女御で、清和天皇の母)が心の病になった。
※聖宝は時代前期の真言宗の僧。大峯山中興の祖、当山派修験道の祖と仰がれる。
6年 甲寅(きのえとら)
紀伊国中の柑子が8月にことごとく熟した。4月に蒙古が来た。
9年 丁巳(ひのとみ)
熊野三山に行幸し、本宮にお経、新宮に荘園、那智滝本観音に本願を奉納。霊光の2字を賜った。
原文
寛平 己酉
当今ヨリ四方拝七種粥始也
二 庚戌
御舟島ニ霊亀出現
五 癸巳
勅聖宝熊野三山詣趣金峯山時六十二歳染殿后受狂疾
六 甲寅
紀伊国中柑子八月悉熟四月蒙古来
九 丁巳
熊野三山行幸本宮御経新宮ニ庄園那智滝本観音本願賜霊光二字
(てつ)
2021.11.11 UP
参考文献
- 熊野速玉大社宮司 上野元監修・発行『速玉本 熊野年鑑』熊野速玉大社