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弁慶物語

熊野別当の子と伝えられる伝説的豪傑、武蔵坊弁慶の物語

 1 弁慶誕生 2 比叡山 3 武具揃え 4 喧嘩修行
 5 義経 6 平家一門 7 吉内左衛門 8 脱出


弁慶生誕乃地
弁慶生誕の地とされる大福院

 源義経の従者のひとり、武蔵坊弁慶。
 鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』に2度ほどその名が見えることから、実在したことは間違いないでしょうが、その人物像は後世の人々により大きくイメージを膨らまされ、実在さえも疑われるほどの伝説的人物となりました。

 様々な物語で語られる弁慶は、その誕生の仕方からして異常です。
 『弁慶物語』では熊野別当(熊野三山の統轄者)弁心(べんしん。実在しない)の子、御伽草子『橋弁慶』では熊野別当湛増(たんぞう。第21代熊野別当)の子、『義経記』では熊野別当弁しょう(実在しない)の子とされ、いずれも熊野十二所権現のひとつ、若一王子(にゃくいちおうじ。祭神は天照大神、本地仏は十一面観音)に申し子して授かった子とされます。

 『義経記』では、熊野別当弁しょうが、熊野詣に来ていた貴族の姫君に一目惚れし、姫君を強奪して強引に結婚して、妊娠させ、弁慶を生ませたとします。弁慶が母の胎内にあること、18ヶ月。2~3歳児ほどの体つきで、髪も肩を隠すほどに長く、歯も生え揃っているという異様な姿で弁慶は誕生したとされます。
 『橋弁慶』では、母の胎内にあること、33ヶ月。『弁慶物語』では、母の胎内にあること、なんと3年。
 異様な姿で生まれてきた我が子に別当は、これは鬼の子に違いない、と殺そうとしますが・・・

 

 

熊野観光プラン:弁慶をめぐる旅

(てつ)

2003.5.24 UP
2003.11.18 更新
2010.7.23 更新

参考文献