平治物語 現代語訳1 信西打倒の議
1 信西打倒の議 2 悪源太義平の提案 3 信西出家の由来
4 信西が示した不思議 5 清盛、熊野権現に祈る 6 清盛、六波羅に着く
平治の乱を描いた軍記物語『平治物語』より熊野が関連する箇所をピックアップ。
「信頼信西を亡ぼさるる議の事」より
このようにあれこれと準備をととのえて、隙をいつかと窺っていたところ、平治元年(1159年)12月4日、太宰大弐清盛が子息重盛を連れて年籠り(大晦日に寺社に籠って新年を迎えること)しようと志して、熊野へ参詣された。
この隙にと思ったので、信頼は義朝を呼び寄せ、種々に贈り物をして、
「いつかあなたに申し上げた信西のことはいかがであろうか。うわべは善政を行うように申しているが、我が方のことを、世間にありふれたことではあるが、火をも水と偽りを申しなす。公(後白河上皇)も知っていらっしゃるが、機会もなかったので御注意されることもない。
子息どもは、ある者は中将や少将になり、ある者は弁官になる。それで何が不足なためであろうか、信頼を討つべく支度していると告げ知らせる者がある。清盛は熊野参詣に出かけた後である。信西を失い、その後平家を滅ぼせば、天下の政をあなたと信頼とで執り行うのに、上に立つ者はいなくなる」とおっしゃると、
義朝は、
「保元に一門兄弟を失い果ててただ一身になっていますので、平家をもいとわしく思っています。よくお仕えしましょう」と申し上げたので、信頼は悦んで、いかつい作りの太刀を2振、自ら取り出してお渡しになった。
反信西派のクーデターは、平清盛が熊野詣で京を留守にしている間に起こされました。
(てつ)
2012.4.19 UP
参考文献
- 日本古典文学体系31『保元物語 平治物語』岩波書店