■ 創作童話

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★ 我が輩は鵯(ヒヨドリ)である。(その1)   (正和 作)


初めに:
 このお話は、私が最近知り合った和歌山県田辺市本宮町に在住の正和さんという方の創作童話です。
 正和さんの許可を得て、こちらに転載させていただくこととなりました。
 今回のお話は、正和さんがお住まいの皆地(みなち)を舞台にした物語です。

 皆地には皆地生き物ふれあいの里があります。
 皆地いきものふれあいの里では、約20ヘクタールの敷地のなかに「ふけ田」と呼ばれる湿田や森林があり、約600種類もの動植物を観察することができるそうです。観察室、標本展示室を備えた「皆地いきものふれあいセンター」も併設。駐車場あり、入場無料。

 我が輩は鵯である。

(てつ)


我が輩は鵯である。(その1)       (正和)

 

前を見ても、後ろを見ても、右をみても、左をみても、山ばかり。丁度すり鉢の中の様な所に九十戸程の家々が肩を寄せ合う様に並んでいる。すり鉢のなかに森が二つ。一つは「鏡山」、もう一つは「祭り山」。鏡山は地元の氏神様をお祭りしているし、祭り山は本当の名は「久保平」だ。地元の御先祖様をお祭りしているところから祭り山という名が付いた様だ。

我が輩の住家は、その祭り山にある。元来、我輩は渡り鳥で夏の間は北国で暮らし、冬になると、ここ皆地生き物ふれあいの里に引っ越してくる生活が、祖父母や両親の時代から続いていたのだが、優しかった父や母とも別れて友達と一緒に来る様になってから、つくづく考えた事だが、祖父母の話話によれば皆地の里も昔は食べ物がいっぱいあった様で、家々の周囲は、牛を飼ったり、田畑を作るために柴や草を刈り取る採草地や、広葉樹林が多く、色々な木の実や、叢には濃い藍色の「スクダマの実」や橙色の「ヤブコウジの実」(注 土地の人間がそう言っている。本名は外に有る様だが)などが、冬の食べ物の無い頃でも、何時でも、お腹いっぱいに食べる事ができた、と懐かしそうに話しているのを聞いた事が有る。残念ながら近ごろは木の実も少なくなり、草の実を探すのに一苦労だ。

一昨年の十一月に祭り山から下を見ていると一軒の家の庭に、まだ青いが、なにやら木の実らしいものが目に入った。早速彼女を連れて行ってみる事にした。その木の周囲には、山茶花(さざんか)、紅梅、海棠(かいどう)、それに白木蓮、姫辛夷(ひめこぶし)などが植えられ、下にはツツジやさつき、それに、色々の花々が有り、遊ぶには都合の良いところだ。

丁度、誰もいない様子なので、その木に飛んで行って見れば、それは「ピラカンサ」の木だ。鋭い刺に注意しながら見れば、たわわに、さながら、どうぞと言わんばかりに実っている。一粒、二粒、食べてみると、まだ青くて一寸未熟だが結構に美味だ。彼女も、夢中で頬張って居る。それを遠くから眺めていた鶇(ツグミ)君が飛んで来た。我が輩達と同じ頃に北の国から渡って来たのだろう。

あっ、そうそう。我が輩の名前をまだ言ってなかったネ。我が輩の名は鵯(ヒヨドリ)の「ピ−助」と言うんだ。彼女は、皆が「ピー子」と呼んでいる。本名は別に有る様だが、我が輩も皆と同じように、ピー子さんと呼んでいる。

さて、自己紹介はそれくらいにして、ふと紅梅の下を見れば、なんと巣箱が二つ、餌箱が二つ。その上、紅梅の木の枝には、美味しそうなミカンが二つ割りにして刺している。
これはご馳走だ、有り難い」早速ピー子さんと半分ずつ頂戴することにした。
一口食べると、、その美味しい事。さすが、和歌山、紀州のミカンだ。まるで頬っぺたが落ちそうだ。見る間に全部無くなってしまった。
お互いに顔を見合わせて、「もっと食べたいネ…」と話し合った。

翌日も早速出かけてみると、又、ミカンが紅梅の木の枝に刺している。小躍りしながら二人(注 人間様は一人・二人と呼んでいるそうだから我が輩もピー子さんと二羽と言わずに二人と言う事にする)で瞬く間に平らげた。その後で、又ピラカンサの実を啄んだが、贅沢なもので昨日程美味しいとは感じない。

今日は紋付きを着た「ジョウビタキ君」が来て実を食べている。彼の食事は又変わっている。実を一粒取ると横の塀際にある次郎柿の枝に行って食べている。食べ終わると又、実を取りに来る。ピラカンサの木と次郎柿の間を行ったり来たり、我が輩には目障りでならないが、人間様でさえ我が輩達の住んで居る国の日本人とアメリカやフランスなど外国の人とでは食事の習慣やマナーが違っているのだから、ジョウビタキ君が違っていても当たり前で我が輩が腹を立てる事は無いだろうと胸を擦って我慢した。

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和歌山県田辺市本宮町皆地の観光名所

(てつ)

2009.4.23 UP

 

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