■ 熊野の観光名所 |
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◆ 四村神社(よむらじんじゃ) 和歌山県田辺市本宮町皆地字鏡山 皆地村:紀伊続風土記(現代語訳) |
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鏡を祭ったのが始まり田辺市本宮町皆地(みなち)、皆地いきものふれあいセンターの敷地(もと皆地小学校校庭)の後背地に鏡山があり、敷地から石段を300mほど上った山頂付近に四村神社があります。 もとは鏡神社といい、明治42年(1909年)に、旧四村の各字の村社や無格社23社を合祀して四村神社と社名を改めました(第2次大戦後、合祀していた神社はそれぞれの字で復社されました)。 石段を登っていきます。後ろを振り返ってみると、 立派な石段です。左右が木に囲まれていて心地よいです。 そして四村神社社殿。 立派な社殿。1棟の覆屋のなかに3つの神殿が横並びに収められています。 祭神は『本宮町史』によると、速玉男神・高倉下命・大日霊貴神・味□高彦根命・金山彦命。例祭は12月23日。 口伝で伝わる由緒を地元の方からお聞きしました。 昔、皆地村の高野(たかの)という集落の後ろの谷に滝があり、そこで光る物が現われた。その輝きは増すばかりで七日七夜光り続け、土地の者が恐る恐る近づいてみると、それはきれいな鏡であった。村の者はこれを神と信じ、村の中央の小高い森の下の高森という所にその鏡をお祭りした。その後、森の上の方に移し、この森を鏡山というようになった。その後、皆地村の敷地平という所にお祭りしていた氏神を鏡山に移してともに祭った。これが鏡神社の始まりだという。 またこの氏神は八川勝手神社といい、その昔、県内に広く信仰された八川神社という神社があり、あるとき、その神社が各地域に分祀され、ご神体を頭・胴・右手・左手・右足・左足というふうに分けて各地域でお祭りすることとなった。皆地では手が祭られ、八川勝手神社の名が付いたという。 そのため皆地には手先の器用な人が多いのだそうです。皆地というと、皆地笠(みなちがさ)と呼ばれる、檜で編んだ手作りの笠の産地として知られていました。 四村神社の裏手にあった看板。このまま裏手の道を行くと5分ほどで皆地の集落に下り、大池、ふけ田を経由して皆地いきものふれあいセンターに戻ることができます。 大池。この池のほとりには、九頭竜神社(くづりゅうじんじゃ)という小さな神社があります。昔、この大池には大蛇が住んでいて、大池と平治の滝との間をいつも行き来していたとか。その大蛇を祭っています。大池の水は枯れることがなく、昔、日照りのときは大池の水に手を入れて水をかき混ぜて、雨乞いをしたとか。 また大池のそばには「蛭伏せ(ひるぶせ)の石」と呼ばれる大きな石があります。安倍晴明がこの大石にヒルに血を吸われて困っていた皆地のお百姓のためにヒルを伏せこんで祈祷したのだとか。その後、皆地のヒルは人間の血を吸わなくなったそうです。 ふけ田。鏡山山頂付近の四村神社社殿から大池、ふけ田を経由して皆地いきものふれあいセンターまでは徒歩15分ほどでしょうか。 四村神社へのアクセスについては、「熊野の観光名所:立木染工房」のページをご覧ください。立木染工房は「皆地いきものふれあいの里」の皆地いきものふれあいセンターの入口前にあります。 (てつ) 2009.1.24 UP ◆ 参考文献
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