み熊野ねっと

 熊野の歴史や文化、観光名所、熊野古道の歩き方、おすすめの宿などをご紹介しています。

熊野を知る

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平安時代末期の院政という政治が行なわれていた時代、白河上皇は熊野を9回詣でました。その後の鳥羽上皇は21回、後白河上皇は34回、後鳥羽上皇は28回。往復におよそ1ヶ月掛かる熊野詣を1年に1回くらいは行いました。

院政期は平家の時代でもあり、平清盛も何度か熊野を詣で、その子の重盛も、孫の維盛も何度か詣でました。重盛は死の直前に熊野を詣で、また維盛は死に場所に熊野を選びました。

その当時の国を動かす人たち、今で言えば内閣総理大臣や閣僚、官僚のような人たちが毎年毎年、熊野を詣でたのです。

熊野のことをよく知る人は、熊野のことを、日本の原郷、日本人の心の故郷、日本の核心、日本の中心などと言ってくださいます。熊野は日本にとって特別な場所なのです。

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熊野とは

本宮新宮那智熊野三山が鎮座する熊野(くまの)。
熊野とは、かつての紀伊国牟婁(むろ)郡のことで、紀伊半島南部の地域をいいます。

紀伊国牟婁郡は明治になって、近畿最長の河川である熊野川を境に二つの県に分けられ、熊野川以西は現在の和歌山県に、熊野川以東は現在の三重県に属することになりました。
ですから、熊野とはだいたい現在の和歌山県の東牟婁郡・西牟婁郡と三重県の南牟婁郡・北牟婁郡の辺りということになります。

「熊野」という地名が何を意味していたのか、その語源ははっきりとはわかっていません。様々な説があります。

・「クマ」は古語で「カミ」を意味し、「神のいます所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「樹木が鬱蒼と隠りなす所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「神が隠る所」の意とする説
・「クマ」は「こもる」の意で、「死者の霊魂が隠る所」の意とする説
・「クマ」は「隅(くま=すみ)」の意で、都から見て「辺境の地」の意とする説
・「クマ」を「影」の意とする説
・「クマ」を「曲(くま)」の意とする説

熊野の地名が初めて登場する文献は『日本書紀』だと思いますが、『日本書紀』では、熊野はイザナミノミコトの葬られた土地として登場します。
また、やはり『日本書紀』には、スクナヒコナノミコトが熊野の御崎から常世(とこよ。海底他界)に渡った、との記述もあり、熊野の名は記されていないものの、スサノオノミコトが紀伊国に渡り、熊成峰から根の国(地下他界)に入った、との記述もあります。

大和地方の人々は熊野を死者の国(死後の世界)に近しい場所と考えていたようです。
熊野には以前から死者の国としてのイメージが与えられていたので、のちに浄土信仰が盛んになったときに、熊野は、やはり死者の国である「浄土」と結びつけられたのでしょう。
神仏習合や浄土信仰の隆盛により、本宮は阿弥陀如来の西方極楽浄土、新宮は薬師如来の東方浄瑠璃浄土、那智は千手観音の南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野は全体として現世にある「浄土」の地とみなされるようになりました。

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古典文学に登場する熊野

熊野は日本の宗教の中心地であったため、日本の文化に大きな影響を与えました。たとえば『平家物語』は日本の文学を代表する軍記物語ですが、熊野信仰を広めるための物語でもあります。

『平家物語』の冒頭、巻1には「そもそも平家がこれほど繁栄したのは熊野権現の御利益のおかげだと噂された」というようなことが書かれ、その後もしばしば熊野が登場します。平家物語を語った琵琶法師の総本山は熊野本宮近くにあった大智庵というお寺だといわれます。

また三大和歌集のひとつ「新古今和歌集」は、後鳥羽上皇の熊野詣のお供をした歌人たちによって選歌がなされ、後鳥羽院自らの手によって改訂された歌集なので、集中で最も多く登場する地名は「熊野」です。

その他、熊野が登場する古典文学は多数あります。

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